三日月の夜

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三日月の夜

 ビルの屋上に立ち、僕はこれまでの人生を振り返った。  十分経過――。  何も思い出せない自分は、やはり空っぽの人生を歩んで来たのだと痛感した。  普通は、愛する人の顔や、これまでの楽しい事や辛かった事を思い出すのだろうが、僕には記憶はあるが思い出がない。  波風の立たない、平凡で平坦な人生を望んでいたのだが、それが僕には苦痛でしかなかった。  かつて耳にした、こんな言葉が頭に浮かんだ。  ――人生の最期。あなたのアルバムには、どんな写真が載っていますか?――  僕のアルバムには、写真は載っていないだろう。  それが、僕という人間であり、僕の人生なのだ。  とにかく、そんな苦痛から解放される為、僕は今日この場所で人生を終わりにする事にした。  ビルの屋上からは、宝石箱の様なきれいな夜景が広がっていて、この光の中に融けるなら悪くないとさえ思っていた。  それにしても、いざ死を覚悟すると、こんなにも冷静な自分に驚く。普通は足が震え、死の恐怖に心を支配されてパニックに陥ってしまうらしいが、僕とっては家の玄関を踏み出す様に、このビルからも飛び降りる一歩も変わらないと思う。  長々と考えてしまっているが、人生を終わらせる為、ビルから飛び降りるとしよう。  さよなら、我が人生――。  さよなら、僕のどうでもよかった人生――。  「あれれ。ちょっと待ってください」  僕の自殺を邪魔したのは、全身黒ずくめの男だった。このビルの屋上には、誰も居なかったはずなのに……。  「だ、誰?」  驚く僕に、男は更に驚く事を口にしました。  「初めまして。私は死神です」  それは、とても三日月のきれいな夜だった。
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