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 ボロアパートの敷地内、正面入口をすぐ左に曲がると、雨よけのためのショボいプラスチックの屋根がついただけの、ちんまりとした空きスペースがある。  ゴミ捨て場と間違えそうになるくらい狭く、塀に囲まれた薄暗い角地、そこが、アパート住民のための、駐輪場だった。  だけど、そこに自転車をとめている住民は、アパートのなかでも私一人だけなのだった。  このアパートに住んでいる人たち全員のことを、みんな把握しているわけじゃないけれど、だいたいがすぐそこの繁華街で働いている大人ばかりのようだったので、みんなチャリなんか使わないのだろう。  だからこの、賑やかな繁華街の近くにあっても、忘れ去られたようにひっそりとしているボロアパートの、さらに誰からも必要とされていない駐輪場の薄暗く狭い空間は、長いこと私だけの貸し切り状態になっていた。  と、言いたいところだけど、実は私以外にも、この駐輪場を利用している者がいたのだった。  それは、私のうちの右隣の部屋に住んでいる、水商売のおねえさんが飼っているトラ猫だ。  夜、おねえさんがお仕事に行ってしまうと、彼女が帰ってくるまで退屈なのか、部屋から抜け出したトラ猫が(自由に出入りができるように、風呂場の小窓を開けっ放しにしているらしい)誰も訪れることのない駐輪場の、私の自転車のサドルの上で丸くなっていることが度々あった。  それがきっかけで、私とそのトラ猫は顔見知りとなり、ときどきは頭をなでてやったり、一緒にパンを食べたりするような間柄になったのだった。  おねえさんのうちのトラ猫は、このアパートでの、私のいちばん親しい隣人…いや、隣猫だ。  だからその日の夜も、私はあのトラ猫が自転車の上にいるのかどうか確認してから、自分のうちに帰ろうと思ったのだ。  コンビニ袋の中には、弁当のほかに蒸しパンが1個入っていた、ひとくちくらい分けてあげてもいい。  でもその夜、トラ猫は駐輪場にいなかった。  よく考えてみればそうだろう、今夜は降雪予報がでているくらい寒いのだ、あのトラ猫は、素直におねえさんの部屋の中で丸くなっていたのだろう。  猫はいなかった。  だけど、その私専用の駐輪場には、猫の代わりに見知らぬ人間がいたのである。  
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