180人が本棚に入れています
本棚に追加
泥棒はあっけなく逮捕された。突如として壁に消えた部屋の主の姿に、調子が狂ってしまったのだろう。すぐに逃げればよかったものを、部屋のなかで呆然としていたところを駆けつけた警察に取り押さえられて、敢えなくご用となった。
隣の部屋の男は警察官から詳しい状況を訊ねられていたが、さすがに「壁を抜けて隣の部屋に逃げた」とは言わなかったらしい。
警察が撤収して、部屋に戻ろうとする俺の肩を、壁抜け男が掴んだ。
「あの、これよかったら食べて下さい。実家から送ってきたかぼすです」
そう言って、スーパーのビニール袋にこれでもかと詰められたかぼすを渡される。
「……こんなには食べきれない」
「あ、だったら、ちょっと待って下さい」
そそくさと部屋に戻った男が、大きな瓶を抱えて戻ってくる。
「俺が作った自家製ぽんずです。三ヶ月くらいは余裕で持ちますから、鍋物にどうぞ」
躊躇う俺に押しつけるように瓶を持たせると、壁抜け男は「あの、ありがとうございました!」と頭を下げてきた。
「……別に、」
「俺、壁抜けができる以外は全然普通の人間で、超能力とかあるわけじゃないし、だから、よかったら友達になってください!」
「……は?」
壁抜け男の突然の申し出に、俺は思いきり眉をしかめた。そんな俺の様子はお構いなしに、壁抜け男はなおも続ける。
「俺、小さい頃から親に『壁抜けできることはだれにも教えたらいけないし、人がいるところで壁抜けしたら絶対にダメ』ってずっと言われて育ったんです。だから、壁抜けできることを知っているのは、この世で家族以外はあなただけなんです」
「……」
「初めて素の自分を知ってもらえて、……俺、いまめちゃくちゃ嬉しいんです。……あなたの名前、教えて」
「……草間、」
「草間さん! よろしくお願いします!」
そう言って俺の手をものすごい力で握りしめてくる。
「草間さん、また遊びに行きますね!」
満面の笑みで、壁抜け男は自分の部屋へと帰っていった。「また」って一体なんだよと、そこはかとなく感じる嫌な予感を振り切るように、俺はそそくさと部屋に戻った。
最初のコメントを投稿しよう!