リュウキ 

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あの時、ぼくは3歳で。 うっすら覚えているのは、轟音と、母さんの強い力。 あの轟音が、富士山の爆発音だったのか 家が壊れて行く音なのか、 もう、どっちかは分からないけど。 災害直後、母さんはぼくを抱いて避難場所へ走った。 母さんは、喘息もちだったんだと 後から父さんから聞いた。 それでも、火山灰や瓦礫の舞い散る中、 母さんはぼくにだけ高機能マスクをつけて 体育館へ逃げた。 高機能マスク、高かったらしい。 母さんは、枚数の限られたそれを ぼくにだけ使っていた。 3ヵ月後、九州に出張に行っていた父さんと会えたとき もう、母さんは呼吸が苦しくて、あんまり喋れなかった。 まだひらがなもあまり読めないぼくに だから母さんはメモを渡したんだ。 【おかあさんの こどもにうまれてくれて ほんとうにありがとう。 おかあさんのじんせいで いちばん幸せな4ねんだった】 小学生の時は、なんで3歳だったのに4年なのか分からなかったけど 母さんは、ぼくがお腹の中にいたときからずっと幸せだったんだと 後から思った。
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