エピローグ 東京競馬場

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エピローグ 東京競馬場

東京都府中市是政には、 『東京競馬場』がある。 ここの第三コーナーには、何故か、ケヤキの木が茂っている。 レースの終盤の、大事なシーンが、この木で客席からは見えにくい。 もともとは、目黒にあった競馬場を、この是政の地に移動した際 本来であれば、井田是政の墓標ともいえる木は、切り倒されるはずだった。 1本目の木を切った職人が謎の死。 さらに、時をおいて、 2本目の木を切った職人も急死。 3本目も同様。 現在も、東京競馬場では、この木を見ることが出来る。 京王線分倍河原駅の前には、 鎌倉の方角を向き、勇ましい騎馬武者姿の新田義貞像がある。 この、東京競馬場第三コーナーの木々の下には、 「井田是政」という人物と、その子孫の墓がある。 井田是政は、 1333年5月15日から5月16日にかけて の分倍河原の戦いに 鎌倉方として参戦した、 北条氏照の家臣。 主君の自害の後に、 侍の身分を捨て、この地を開墾し、 『是政』という村が出来たという。 1333年5月16日からわずか数日後の1333年5月25日。 攻め上られた鎌倉幕府は幕を閉じた。 戦場となった、 多摩川を挟んだ府中市や多摩市では、 多くの民間人も犠牲となった。 まさに、火の海であったと伝え聞く。 多摩川の河原には『三千人塚』という 身元不明者が葬られたとされる墓標が現存する。 なお、「飯野是政」の名も。 「飯野伊周」の名も。 何も、残ってはいない。 0c77f263-da3a-4b39-9ee1-c4c0a23fe0fe
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