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ドアノブに手をかけたところで、声をかけられた。
「どこに行くの、こんな時間に」
「すぐに戻るよ」私は振り返って、廊下に立っている母に答えた。「先に寝てて」
「外に出るなら気をつけてね。最近、公園のあたりに不審者がいるって話だから」
「若い女の子ならともかく、おれは大丈夫だよ」
「それはそうだけど」
まだ何かいいたそうな顔の母を見つめた。小柄でふくよかで、陽気な性格だが、父が他界して白髪が増えたような気がする。本当に増えたのか、それまで私が気にしてなかったから増えたように思うのか。ただ、病院で婦長だった母が、昔より猫背になったのは確かだ。
外出の理由をいうのははばかられ、すぐに戻るよといってドアを閉めた。共有廊下に出た途端、むっとする夜気に包まれた。ペンキのはげかけている手すりの向こうには、流川通りのネオンが見える。夜に鳴くアブラゼミの声を聞きながらエレベーターホールに向かった。腕時計を見ると、もうすぐ午前零時だった。
これで三日連続だ。四十男がやるようなことではない。母が心配するのも、もっともだ。
一階でエレベーターを降りると、センサーが反応し、廊下の灯りが点灯した。オレンジ色のスポット照明はついているものの、大きな照明は人を感知してスイッチが入る。無人になって三分すると消える仕組みだ。
一階は蒸していた。非常口のドアは開いていたが風はまったく通ってない。またたくまに汗が噴き出てきた。ランドリー室の前を足早に通り過ぎ、集合ポストに向かう。ポストには夕刊がいくつか残っていた。まだ帰宅してないのか、取り忘れているのだろう。隣の郵便受けからも新聞が突き出ていた。他の新聞はほとんどがボックス内に入っていたが、隣は乱雑に突っこんだのか、水平に近い角度になっていて、妙にだらしなく見えた。
七○三の郵便ボックス前に立った。
夕方に確認したのだから配達されているはずはない。そもそも、夕方以降に郵便の配達などないし、マンションの玄関は夜十一時にオートロックが作動する。翌朝の六時まで鍵がかかっていて扉は閉まったままだ。郵便など届いているはずがない。
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