なりすましのヘイト

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 聞き取りが終わると、証言から割り出された時刻をもとに、管理会社に監視を要請するか、防犯カメラを設置するかの採択を、理事・自治会で早急に行うことが決まった。理事の一人が、以前から防犯カメラを設置すべきだと主張していたと吹聴するのを待ってから、「他に何かありませんか」と五反田が呼びかけたときだった。 「これは差別です。ヘイトスピーチです」  という声があがった。銀縁の眼鏡をかけ、髪をきちんとセットした、六十代半ばの女性で、志田民子と名乗り、以前は小学校の教員だったと自己紹介した。 「ヘイトスピーチ、ですか」  五反田は戸惑ったような顔で、民子に目を向けた。 「ヘイトスピーチというのは」リレーされてきたマイクを手にすると、民子はゆっくりと周囲に目を向けた。「特定の人種、民族や宗教、性的少数者などを――」 「なんじゃそりゃ」  罵声に、空気が凍った。誰の言葉だったのか探る必要はなかった。遮ったのは高橋だった。ゆっくりと立ち上がって、入口近くの席から、二列前にいる民子に目を向ける。 「スピーチって、あれは文字で書いてあったんじゃないすかね」 「ヘイトスピーチというのは、差別煽動目的で行われた言葉や文章などを指します」 「差別っていうけど、あれって、差別なんすかね」憮然とした口調でいうと、高橋は腕を組んだ。「あれってニッポン人なら当然でしょう。違うんですかね」 「あんなもののどこが当然なんです。殺せなんて言語道断じゃ――」 「だから、ちょっと表現は右寄りかもしれませんけどね、広告なんて派手な表現してるもんじゃないですか。問題を広めようと思ったら、多少強めの表現になるもんでしょ。それを差別、差別と言いたてるのは、表現の自由の侵害でしょう」 「――問題を周知するためといいましたね」 「言いましたけど、何か」 「だったら、何か根拠があるって信じてるんですね、あなたは。あんな汚い言葉に」 「だって事実でしょうが、あれは。生活保護とか犯罪者とか」 「『「在日特権」の虚構』という本をお読みなさい。在日コリアンの一世や二世は高齢化していますし、受給者の九十七パーセントは日本人です。犯罪についてはまったくのでたらめで、人種や民族よりも貧困こそが問題であって――」
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