なりすましのヘイト

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「だったら、あなたのいってる『ヘイトスピーチ』だって貧困が原因かもしれないじゃないすか。それもこれ、文字で書いてあるだけでしょうが。犯罪と文章表現比べたら、犯罪のほうが重いとおれは思いますけど、学校の先生は違うんですか」 「よくも」民子の顔から血の気が引いていた。「よくもそんなことを――」  五反田がマイクを手に取った。 「ええと、政治的な話は抜きにしませんか。お互い熱くなりすぎても、ねえ」 「わたしは差別について話してるだけです。こんなことを許す社会には問題があるといってるんです」  民子がいうと、五反田は口だけで笑みを浮かべた。 「もちろんね、私もね、差別というのは問題だと思うんです。ただ、それを今話すべきかどうかについては、多少、議論の余地があるんじゃないかと。そもそも、差別というからには、差別された当事者がいなければですね、議論のための議論になってしまうと思うんですよ」  五反田に反発を感じた。けれど、私の中では、ほっとしている部分もあった。差別の話というのは、あまりに重すぎて、自分ではどう考えたらいいのかわからず、できれば避けて通りたかった。そういう意味では、五反田のあからさまな回避に救われたような気もした。《彼》の言葉が頭をよぎり、自分がどうしようもなく駄目な人間に思えた。  五反田の発言によって張り詰めていた会場の雰囲気が、緩んだものに変わっていた。高橋は五反田が話しだすと同時に腰をおろし、民子だけが取り残されたように、ぽつんと立ちすくんでいる。  五反田が、それでは他に意見がないようでしたら、といった時だった。 「待って下さい」  声に振り向くと、さっと白い手があがり、金原玲子が立ちあがった。 「私は在日朝鮮人の三世です」  深い、落ち着いた声だった。顔の横、目の高さに手紙をかかげて続けた。 「志田民子さんのいうように、これはヘイトスピーチです」玲子は五反田を真っ直ぐ見ていた。「私は、自分の子どもにこんな手紙を見せたくないんです。こんなことから子どもを守りたいんです。だから――」  玲子の声をかき消すように、朝鮮人という暗い声がした。 「やっぱ、いるんじゃん、朝鮮人の工作員が」  立ち上がった高橋は、玲子を指差し、顔面を紅潮させ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 「ニッポンを差別するな、朝鮮人」
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