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「すずめさんも、バレンタインのお菓子、たくさん配ってたでしょ」
「あれは、みんなが、してるから」
「本当に渡したい子を、その中に隠して、手紙をそえて」
「なんで、しってるの」
「先生の想像だけど?」
千代先生はずるい。
いつまで経っても、吹奏楽が鳴りやんでも、肌に触れるだけで、うしろのホックを、はずしてくれない。
「先生、わたしふられちゃったよ」
涙が、おなかの底の底のほうから、こみ上げてくる。
もっと下の、深い、真ん中のところに、ありえないくらいのエネルギーのかたまりが、うずいている。
ふられちゃったんだと、先生はそっけなく言った。
「わたしたちにはちょっと早すぎるんじゃないかなって、言われちゃった」
「言われちゃったの」
「女の子同士はだめだって、言ってくれなかったよ」
「言ってくれなかったの」
「ちょっと早すぎるときが、いつ来るのか、待っていてもいいのか、わたし、わからなくなって、学校も、卒業式も、お休みしちゃった」
「お休みしちゃったんだ」
「だから千代先生になぐさめてもらうんだ、その子の代わりに」
「代わりなんだ、あたし」
分かっていたように、千代先生は言った。
両足の間に、千代先生の太ももが入ってくる。
「わたしはもう大学生で、この学校の生徒じゃないから、なんにもおとがめなしだけど、千代先生は辞めさせられちゃうね、わたしのせいで」
「ひどい子」
「ずっといい子だったんだから、これくらいさせて」
「これくらいさせてって、お父さんに言いたかったの?」
千代先生の右膝に、あたたかいところを触れられて、わたしは涙を流した。
とめどなく。
「お母さんに言いたかった」
わたしは初めて、自分から千代先生に抱きついた。
先生はうなずく代わりにわたしの涙をくちびるで吸い取ってくれた。
「先生ね、この仕事辞めるんだ」
考えてもいないことを言われて、わたしは千代先生の眼を真正面から見た。
わたしと同じように、ほてった息で、汗をかいている。
「ずっといい子だったから、これくらいしてから辞めてやるの」
「どうして」
「すずめさんと同じ」
「おなじ?」
「疲れちゃったの」
いままで乾いていた千代先生の眼が、うるんで落ちた。
わたしが先生の頭を胸に抱きしめると、うそだよと、小さい声がした。
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