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あぁ、とうとうこの日が来てしまった。
私はこのバトルアリーナの景品…。
優勝した者へ贈られるトロフィーの様な物。
人間達からすれば、私は確かに美しいのだろう。
だが、私からすれば何の設計も無く生まれてくる人間は神秘的で、さらには私の様な機械を創り出したり、道具を作ったりと生み出す事に長けている。
設計通りにただ美しいだけの私にとっては人間達の「それ」はただただ存在が美しく、そして遠く儚くかつ眩しく輝く。
神秘的な身体を改造し、肉体を捨て去る彼らを私は理解できない。
そんなイカれた人間達のままごと人形になるのかと思うと、思考回路が今にも焼き付きそうだ。
どうせ所有物になるのであれば、あの「彼」の様な美しい状態のままの人間がいい。
だが、それは無理な話。
今回のアリーナは武器使用禁止、己が身体のみで闘わなければならない。
無改造な彼が参加するなど、到底あり得ない事だ。
はぁ、私はまた彼の事を考えている。
自身の所有者を選べない被造物に、思考する機能など不要ではないか?
私を造った人間は何を考えて私に、この様な苦痛を望んだのだろか。
そう考えただけで、創造主の頭をカチ割り中身を吟味してみたい衝動に駆られる。
だがそれもまた無理な話だ。
私にはある3つルールを元に、厳格な行動原理がプログラムされている。
私がこうして逃げ出さず座して思考するに留まるのも、そのプログラムのせいだ。
いや、待て、本当にそうなのだろうか?
人間の命令だからと私は全てを受け入れていたが、それに関して思考した事がなかった。
実際に今ここに座っていろと命令されているが、それ以上の行動をとった事がない。
今も思考出来ていると言う事は『命令に反さない限りの行動は許されている』と見て間違いないだろう。
では、どこまでが許され、どこまでが許されないのか、次はそこを論点に思考してみよう。
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