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「さっき終わったので家に帰りますね……冗談ですよ。ちゃんと行くから待ってて」
夏帆からの電話。少し酔っているのか、いつもより声を張っているように聞こえた。
飲み会の店からイルミネーションのある通りまで、アーケード街を歩いてくると夏帆は言っていた。おれは待ち合わせ場所にしたライオンの像の前を通過して、夏帆が歩いてくるはずのルートを逆走することにした。立ち止まってのんびり待ってなどいられなかった。少しでも早く夏帆の顔を見たい。
眼球をぎょろぎょろと動かして、すれ違う人の顔をしっかり確かめていく。もし気付かず通り過ぎてしまったらどんな嫌味を言われることか。しかしこれではちょっとした不審者かもしれない。
程なくして、丹念に顔を確かめる必要などなかったということを悟った。気付かないはずがないのだ。視線が自然と吸い寄せられた。
襟にファーのついたグレーのコートの下からワインレッドのスカートがのぞく。白いニット帽。肩にかけたピンクのバックの紐を右手で押さえながら、颯爽と歩いてくる。
「久しぶり」
手を振って声をかけた。夏帆の対応はもはやお約束、空々しく顔を逸らしながらスルー。さすがにおれも慣れたもので、普通に話を続ける。
「飲み会どうだった?」
夏帆はハッとした表情を作った。
「変な虫だ。逃げよう」
「そういうあなたは芝刈り機じゃないですか」
「えへへ。照れる」
「実は気に入ってるだろ」
「的確なのでいい名前だと思ってる。ありがとうございます」
「そいつは良かった。じゃあ行こうか」
左手を差し出した。夏帆は右手で繋ぐ。当たり前のようにカップル繋ぎが成立していた。
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