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「ねぇ」
バッグからハンカチを出そうとしている夏帆の横顔に声をかけた。彼女は、なに? という感じに少し首をかしげながら振り向いた。黒いつややかな長髪がふわりと揺れた。
「付き合ってくれないか」
おれたち二人の近くには店員さんもいるしお客さんもたくさんいる。そんなことなどお構いなしの、必死の告白だった。
夏帆は、なに言ってんだこいつ、とでも言わんばかりに眉間にしわを寄せ……るようなことはしなかった。
「はい」
……え?
これほど『きょとん』という日本語が似合う瞬間もないだろう。
「はい。わかりました」
大事なことなので二回言いました、ということか。
「えええええええええええ! うそお! お前自分が何言ってるかわかってる?」
「はああああ? あなたこそ、せっかくOK出したのに嬉しくないんですか、禿げ!」
「んなわけないだろ。小踊りしたいくらい嬉しいわ! でもちょっと待って、混乱してる。あと禿げは余計だ! てかまだ禿げてないし。将来は危ないけど」
夏帆はくすくすと笑った。
「正直に言いますね。私、齋藤さんのこと好きじゃないです――そんな顔しないで。ちゃんと聞いて。好きじゃないけど、一緒にいて楽しいし、私のこと本当に好きなんだなって感じるから嬉しいんです。だから、付き合ってみようと思います。私もあなたのことをちゃんと好きになりたいです。だから好きになれるように齋藤さん、頑張ってくださいね。これからもちゃんと追いかけてきてください。手を握ってください。じゃないと、すぐどっか行きますからね。経験あるでしょ、たくさん。私、あなたが追いかけてきてくれるって信じてるから、安心して他人のふりして通り過ぎてるんですからね」
頭が垂れた。脱力した。
好きじゃないというのは、そういう気持ちなのだから仕方がない。これから好きになってもらえるように努力すればいい。
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