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竹内がようやくコートに現れたのは、夕方、もう片付けを始めたころだった。あまりにかわいそうなので、二ゲーム先取でシングルスの試合をしたのだが、あっけなくストレート負けを食らったので、彼が大会に間に合っていれば、おれのペアが優勝することはなかったかもしれない。
「意外です。竹内さん、すごいしっかりしてるのに」
「それがあったから、竹内君、今年は前夜祭なくしたんだよ。代わりに打ち上げ頑張るって。……週明けにマウスの実験あるんだけど大丈夫かな」
家守先生が神妙な表情をした。
「なんの実験っすか?」
「マイクロダイアリシスプローブの脳内埋め込みオペ。ほら、斎藤君がやってたやつの続きだよ」
あー、あれか。二日酔いにはしんどいだろうが、おれの知ったこっちゃない。かわいい女の子とお話しする方が大事である。
「夏帆ちゃん、今日打ち上げは来るよね?」
「行きますよ。あんま飲めないですけど」
「おれもあんま強くないから平気よ。昔の細胞薬理は酒強い人多くて激しかったみたいだけど」
ルームミラーごしに、家守先生が懐かしそうに小さくうなずいているのが見えた。
「細胞薬理といえばさ、なんでまた細胞薬理にしたの? うちが第一志望?」
場を持たせるために、思いついた方向に話を進める。夏帆との会話を途切れさせたくなかった。それに、研究室選びの話題なら、おれもちょっとしたネタを持っている。
「うーん」
夏帆は少し言いよどんだ。家守先生のことを気にしたのかもしれない。
「第二志望でした。でも、動物を使った研究ができればどこでもいいと思ってたので。齋藤さんはどうなんですか?」
「齋藤君は、うちに逃げてきたんだよ」
家守先生が口をはさむ。
「逃げてきたって人聞きの悪い。僕も動物使った実験を学びたかったからですよ。あ、おれ、大学院で研究室変えてんの。前のとこがめっちゃブラックでさー」
「やっぱり逃げてるじゃないですか」
夏帆はまた、楽しそうに笑った。おれも釣られて笑顔になった。つかみは上々……かな。
ペアはコートについてから発表されるはずだ。普通は、経験者と未経験者がペアになる。夏帆は自分のラケットを持っていないので、未経験者のはずだ。おれは、夏帆とペアになれるよう、心の底から祈っていた。
そして、神に感謝した。
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