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ダンデルクは一瞬、言葉に詰まった。青年が怯えるのも無理はない。ほとんど実戦経験がない上に、邪神が支配する魔界に数時間も停船するのだから、不安に思うのも当然だろう。それでも精一杯虚勢を張って平静を装う若い航海士に、ダンデルクはやんわりと微笑みかけてやった。彼の勇気に敬意をこめて答える。
「この船の船長はお前だ、チェス。どう操縦するかはお前が決めるとよい。俺はお前に命を預けているんだ、それに足る人物だと心から思っている。仮に帝国へ上陸する前に転覆したとしても、一片の悔いもないぞ」
「こっ、国王陛下っ……!」
一介の警備兵にとって国王は神と同位にある崇高な存在だ。その国王から過分な言葉を賜った航海士の見開いた目に、ぶわっと涙が滲んでいる。その時にはもう、感極まったように息を震わせる航海士の瞳から、寸前までの不安な気配は完全に消えていた。蒼白していた顔には血色が戻り、舵を取るその姿勢にも強い自信が漂っている。
「陛下のお言葉にお応えできるよう全力を尽くします!」
「ああ、よろしく頼む」
「はッ。ではこれより、駆動源を切ります」
鼓膜を弾いた言葉を聞き直すように、ダンデルクは航海士を見返した。
「駆動源を切る?」
「はい、陛下。ガラス板の海図をご覧ください」
数キロ左側には、濃密な霧の壁が延々と続いている。そこへ向けて舵を切りながら、チェスは速度杖に手をかけた。
「海霧の範囲は約30キロと推測されます。戦艦の速度は600キロなので、このまま行くと3分で海霧を抜けます。ですが、その先の海に関しては何一つ確かではありません。一応、歴史録では海霧から数キロ先にフレイア湖があるとされていますが、水深や地底の様子はわかりません。何より、駆動する音で魔物が我らに気づくかもしれませんので、海霧から先は、多少時間は要しますが中間動力で航行しようと思います」
良い判断だった。懸念事項も明確に捉えている。それに彼の言う通り、できれば帝都に着くまで無用な戦いは避けたいところ。ダンデルクは大きく頷いて同意した。
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