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序章
「いづれのおほん時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに……」
そっとその文字列をなぞるけれど、そこに体温など感じられない。指は、紙のさらさらとした感触をなぞるだけだ。
でも、確かに私は覚えている。焚き染められた香を、廊下をすべる衣の音を、貴方の白い肌を。目を閉じれば鮮やかに思い出せるのに、文字にしてしまえば何とも空虚。
辺りを見渡す。頭上で蛍光灯が白々光り、厚い眼鏡の奥から先生が私たちを見渡す。体を包むのは化学繊維で、動いても軽やかな音は立てない。
『源氏物語』
あの日々は紛れもなく、貴方のための物語だった。そして、この物語は私の記憶そのものだ。
たかが一ページ、されど千年。私は貴方のいない『現代』で貴方の軌跡を追っている。
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