一話  名無しの妖

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「私を侮らないでいただきたい」  一歩前に進み出て、蛍は小さな身体でこちらへ挑む。 「あなたのことを誰も助けることができないと……? ならばそのまま真っ直ぐにかかっておいでなさい!」  毅然とした声に、意識がぐらりと揺らいだ。  すぐそばにいる蛍に向けて、彼は手を伸ばす。  枷がはずれ、鞘からするりと刀が抜けていく。  青白い炎に刀の半身がさらされた。  喰ってしまえ、と身内で血が叫ぶ。  この娘を自分の目の前から消してしまえ。  そうすればきっと、この訳のわからない焦燥と、甘いような痛みからも逃れられる。  彼は柄を握る右手に力を込めた。  狂った衝動につき動かされるまま、刀身をすべて引き抜こうとして────。  けれど、どうしてもできなかった。  精一杯に両手を広げた蛍が、刀を抜こうとした彼の身体を抱きしめるように封じていた。  一瞬、何が起っているのかまったくわからなかった。  茫然と見下ろすと、間近に蛍の白い頬がある。  凍えた表情で、きつく唇を引き結んでいた。  ふれた腕からも、かすかな震えが伝わってくる。  怯えながら、必死でしがみついてくる弱々しい力。  この腕を振りほどき、蛍に向けて刃を打ち下ろすのが、自分の望みなのか。  それが自分という妖なのだろうか……。  ぎり、と彼はきつく歯をかみしめる。  そんなことが許せるはずがなかった。  彼は半身(はんみ)の刀を意志の力で鞘に押し込めていく。  妖と人。  それ以上に、彼と蛍では何もかもが違いすぎる。  だからすべてを正しく理解しあうことなどできはしない。  そんな当たり前のことは訳知り顔で言い含めるまでもなく、震え続ける蛍にもわかっているのだろう。  それでも一生懸命に、たどたどしく手を伸ばそうとしてくれるその気持ちを、嬉しいと感じてしまう。
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