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「私を侮らないでいただきたい」
一歩前に進み出て、蛍は小さな身体でこちらへ挑む。
「あなたのことを誰も助けることができないと……? ならばそのまま真っ直ぐにかかっておいでなさい!」
毅然とした声に、意識がぐらりと揺らいだ。
すぐそばにいる蛍に向けて、彼は手を伸ばす。
枷がはずれ、鞘からするりと刀が抜けていく。
青白い炎に刀の半身がさらされた。
喰ってしまえ、と身内で血が叫ぶ。
この娘を自分の目の前から消してしまえ。
そうすればきっと、この訳のわからない焦燥と、甘いような痛みからも逃れられる。
彼は柄を握る右手に力を込めた。
狂った衝動につき動かされるまま、刀身をすべて引き抜こうとして────。
けれど、どうしてもできなかった。
精一杯に両手を広げた蛍が、刀を抜こうとした彼の身体を抱きしめるように封じていた。
一瞬、何が起っているのかまったくわからなかった。
茫然と見下ろすと、間近に蛍の白い頬がある。
凍えた表情で、きつく唇を引き結んでいた。
ふれた腕からも、かすかな震えが伝わってくる。
怯えながら、必死でしがみついてくる弱々しい力。
この腕を振りほどき、蛍に向けて刃を打ち下ろすのが、自分の望みなのか。
それが自分という妖なのだろうか……。
ぎり、と彼はきつく歯をかみしめる。
そんなことが許せるはずがなかった。
彼は半身の刀を意志の力で鞘に押し込めていく。
妖と人。
それ以上に、彼と蛍では何もかもが違いすぎる。
だからすべてを正しく理解しあうことなどできはしない。
そんな当たり前のことは訳知り顔で言い含めるまでもなく、震え続ける蛍にもわかっているのだろう。
それでも一生懸命に、たどたどしく手を伸ばそうとしてくれるその気持ちを、嬉しいと感じてしまう。
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