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二話 先見
【一】 母
母は、名を紗雪といった。
美しいひとだ、と皆は言う。
けれど、蛍は母の姿を覚えていない。
記憶にあるのは、お守りにともらった鈴の音だけだったが、その鈴もいつの間にか母の面影と一緒に失っていた。
寂しいとは思わない。
……本当は、幼い頃は少しだけ思ったけれど、それよりも悔しい気持ちのほうが強かった。
おまえの母は、里の人々を裏切ったのだ。
と、誰かが言った。
ココノオ封じの巫女でありながら、子を成した。
それがココノオの縛をゆるめるとわかっていながら、母は蛍を産んだのだった。
ならば自分が生まれたことが、母を困らせただろうかと思ったけれど、そういうことをあれこれと悩むよりも、蛍にはしなければならないことがある。
────母は悪くない。
そう大声で叫べない、力のない自分が悔しい。
母は里を愛している、里の人々を愛している。
そしてたぶん、蛍のことも愛してくれている。
そのことを皆にわかってもらうには、自分は何をすれば良いのか。
その答えは、生まれたときから決まっていた。
ココノオ封じになるのだ。
母が蚕のように闇殿という繭に籠もらなければならないのなら、自分は絶えず糸を繰りつづけていく。
そしていつか繭をほどいて、母に光を見せるのだ。
必ず、この身ひとつでココノオを封じられるようになる。
私は逃げない。
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