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「えっ、海?」
「うん、そう、海。行くの、嫌かな?」
僕は瞬時に何度も首を横に振った。
それを見てさとみさんは笑顔を作り「じゃあ乗って」と後ろのドアを指さした。
「は、はい」
言われるがままドアを開け、車の中に乗り込んだ。
ガラスに黒いスモークがかかっているせいか、ドアを閉めると中は真っ暗で、インパネだけが光って見える。
「ちゃんとシートベルトしてね」と言われ、そのまま右の後部座席に座り、シートベルトを締めた。
失敗だった。
車は滑るように走り出す。
だが、この位置からはシートに隠されてしまって、さとみさんの姿を全く見ることができず、話もしづらい。
そのくせ、さとみさんの、おそらく髪のいい匂いが、僕の全身に流れ込んでくる。
強くなったり、弱くなったり。
強弱がある分、よけいに匂いたくなる。
僕の鼻は平均以上に敏感で、病院内は血と消毒液と糞尿と芳香剤の臭いで溢れかえっていて、時々息苦しくなってしまう。
だが、この車内はよけいなものが全く置いていなくて、ほとんど無臭で、ほとんど真っ暗で。
さとみさんの匂いだけの世界に入ってしまったようで。
無口になって、その世界に浸ってしまった。
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