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「脳挫傷かな?」というあすみの問い掛けに、「急性硬膜下血腫かも。アルコールや強打に伴う冠動脈の攣縮とかVF(心室細動)とかかも」とようやく頭で考えることができるようになった僕が答える。
だがそんな余裕はすぐになくなった。
息が苦しくなってきて、話すこともままならなくて、
必死に体を上下させ、ただひたすら胸郭を押し続ける。
何度も何度も絶え間なく。
准教授の胸を押すと同時に息を吐き、戻す時に息を吸い込む。
必死に自分の息をしながら、准教授の脳に血液を送り続ける。
汗が噴き出し、目にも入って、目の前がぼんやりとしてきた。
「一度、かわろう」とあすみに言われて、
お願い、と言いかけたのだが、あすみの細い身体では、この准教授の厚い胸板を押し込むことはきっと難しい、それに、
この作業は僕が最後までやらなくてはいけないこと、のような気がして、「大丈夫」とだけ答えて、体を動かし続けた。
腕が棒のようになってきた。
肩が痛い、腰が痛い。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。
胸が苦しい、酸素が足りない。
もうダメだ。
でも、嫌だ。
絶対に、死なせたくない。
絶対に、この目の前にある命を助けたい。
お願いだ動いてくれ、と手の下にある心臓に願いを込める。
お願いだ、息を吹き返してくれ、と准教授の顔を見つめる。
だが一向に動き出す気配はなくて、
見ると僕の手は真っ赤に染まっていた。
すでにもう遅かったのか。
もうダメなのか。
気づくと、あすみが僕を心配そうに見つめている。
そう言えば、僕はいつもあすみに見守られていたような、そんなことをぼんやりと考えていた時に、遠くの方から微かに救急車の音が聞こえてきて。
僕は再び我に返って、
お願いだから早く来てくれ、そう願って、必死に心臓マッサージを続けながら出窓の向こう側を見つめた。
すると「ゴホッ」という音がして、
「蓮!」と呼ばれて振り返ると。
僕の手の下の准教授の胸が、動きだしていた。
人の命を繋ぎとめることができた。
この思いは、
この時の感情は、全てのことを凌駕した。
僕はあすみと目を合わせて、二人、目と目で抱きしめ合って。
あすみの目から再び涙がこぼれ落ちた。
この涙は全部、僕のためのものだ。
僕はこれからどんなことがあろうとも、この時の気持ちを絶対に一生忘れない。
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