92人が本棚に入れています
本棚に追加
「まだ、迷いがあるみたい」
葉山がすっと指したのは、桜の下でぼんやりとどこかを見つめる少年の顔だ。
「この男の子は、なにを考えているのかしら」
美空は押し黙った。答えることができないのは、ただ分からないからだ。
その男の子を見るようになったのは、春の訪れを感じ始めた頃だった。
ある日の部活中に美空がスケッチブックからふと視線を上げると、真正面に見える桜の木の下に名も知らない男子生徒が立っていた。
遠目でうかがう限り見覚えはなく、同学年ではなさそうだった。三年生なら卒業式までもう登校しないはずだから、二年生と予想をつけた。分かるのはそのくらいだった。
けれど、美空は彼をなぜだか知っている気がして、その憂い顔に胸を締め付けられた。
あなたにそんな顔は似合わないよ。
彼の他の表情を知るわけでもないのに、心のどこかがそう囁く。
どうしてもその表情が気にかかって、いつの間にかスケッチブックに鉛筆を走らせていた。どんなに描いたところで彼の視線の先がわかるわけでもないのに、やめようとは思わなかった。美空が探していた「なにか」がそこにあるような気がしていた。
唇を結んだまま美空がじっと考え込んでいると、くすっと吐息で笑う気配がして、美空は慌てて顔を上げた。
「なるほどね」
葉山は一体なにに納得したのだろう。美空はぼうっと葉山の顔を見ながら、また考え込みそうになってしまう。だが、現実の動きが彼女の意識を引き戻した。葉山が一枚のプリントをデスクの上に置いたのだ。
「コンクールの要項。渡しておくわね」
「……はい」
白い用紙に並んだ文字の羅列に、美空はほんの少し眉を寄せる。文章を読むのは、あまり得意ではなかった。
「大事なことも書いてあるから、きちんと目を通しておくのよ」
「……はい」
「それと、絵についてだけど」
「はい」
そこだけはきちっと葉山の顔を見て、美空は全神経を耳に集中させる。その唇からもたらされるヒントを、一つも聞き漏らしたくなかった。
「この半年で、結城さんの絵はとてもよくなったと思うわ。ただ、まだ描きたいものが掴みきれていないみたい。男の子がなにを思っているのか、結城さんはそれになにを思うのか、そのあたりをもう少し作りこんでみるといいんじゃないかしら」
「……はい。わかりました」
最初のコメントを投稿しよう!