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 陽名が眠りこんだのを汐に、要司は裕美と陽名を送るために車を出した。娘夫婦が新居を構えたのは、奇しくもあの交差点に近い、住宅街の中だった。  だが裕美は兄がその交差点で死んだことなど知らない。知らせるつもりもない。自分の消滅と共に、あの事故の存在も消えてなくなってしまえばいい。要司はそう思っていた。  交差点に差し掛かった所で、信号が赤に変わる。昔はここに信号などなかった。あっても、酔っ払いが相手ではどうしようもなかっただろうが。  勢いにまかせて飛び出した要司を、兄は全速力で追った。右手から暴走してくるトラックに気づく余裕もなく。  それが何よりも兄の愛情を示していた。なぜ、生きているうちに気づけなかったのか。  トラックは兄の身体を、まるでマネキン人形か何かのように、容赦なく放り上げた。  そう――。雪が降っていた。  積もり始めていた真っ白な雪に、兄の鮮血が飛び散った。狼のような悲痛な声が、どこからか聞こえてくる。それが自分のノドから発せられたのだと気づくまで、ずいぶんと時間がかかった。 「お父さん、青だよ」  裕美の声に、我に返る。車を発進させようとして、要司はハッと足を止めた。いつかと同じ場所。白い光が浮かび上がる。初めは小さく、それがだんだんと大きくなって、走ってくる兄の姿に変わった。  要司は反射的に、光の左手を見た。巨大な鉄の塊が、兄めがけて突進してくる。要司は思わず車を飛び降りた。 「お父さん!?」  裕美の鋭い叫び声に、要司がハッと振り返る。裕美が怯えたような目をして、自分を見ていた。  要司は呆然としたまま交差点をまた振り返る。だがそこにはもう、兄の姿はなかった。
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