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 要司の退職の日、同僚たちによって、ささやかな送別会が開かれた。関口が率先して幹事を引き受けてくれた。だがその幹事もすでに、呂律が回っていない。  要司はこんな日にも、酒を一滴も飲まなかった。最後まで真面目な人間だったと、残る者たちは笑って語るだろう。  同僚にこれからの生き方を訊かれても、要司にはうまく答えることが出来なかった。特定の趣味があるわけでもない。行きたい場所があるわけでもない。ただ、安らかに生きられればいいと思った。 「長谷川さーん、オレさびしぃっす……来週からもう、長谷川さんいないんすよれー……さびしーっす、マジで……」  若い同僚のなかでも特に慕ってくれた関口は、最後にはしたたかに酔いつぶれて泣き出した。 「おう、泣け泣け! そしたらハセちゃん残ってくれるかもしれんぞ!」 「おとうちゃーん、行かんといてぇー」  古参の同僚たちが真っ赤な顔でからかうと、関口はぐらぐらしながら要司に寄りかかり、いよいよ子供のように泣き出した。  要司は笑ってそんな関口の背中を叩き、頭をくしゃくしゃと撫でてやった。  会は午後九時頃にはお開きとなり、要司はへべれけになった関口を送るため、自分の車を走らせた。  だが十分ほど走った頃、フロントガラスの向こうにチラチラと白いものが舞うのが見えて、要司はハッと目を見張った。 (雪だ)  要司の中で、予感が駆け抜けた。  兄貴が来る。あの交差点に――。  要司は迷うことなく方向を変え、その場所へと急いだ。
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