第1章「夢見堂」

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「被写体募集中。どんな女性も美しく撮ります。自分に自信のない方大歓迎。カメラモデル経験者お断り。」 スタジオ「夢見堂」の入り口には、手書きの、そしてあまり綺麗ではない字で、でかでかとこう書かれた看板が、澄ました顔して立っている。 20年前、ここまで自分の「顔」を全世界に向けて発信しなければならなくなることを、一体誰が想像しただろうか。 自分をカメラに写すことが当たり前になった世の中で、人は、特に女性は自分を良く見せようとしのぎを削った。 日本人女性は益々「可愛い」という言葉に呪われ、美醜の基準は画一化し、「可愛い子」と「そうでない子」、いわゆるブスとの隔たりは大きくなっていった。 ゆめはこの日本人にかけられた「可愛い」の呪いを解くためにカメラを始めた。目はパッチリ二重しか可愛くないだとか、鼻筋は通っていないと綺麗でないとか、顔は小さいのが良いとか、一体誰が決めたのだろう。こんなのは呪いだ。思い込みだ。洗脳だ。 芸術家を志していたゆめは、ある日人間が誰しも普遍的に美しいことに気がついた。それは顔のパーツの問題でも身体のしなやかさの問題でもない。人間の本質とは、そのような固定的なものではなく、もっと流動的なものなのだ。人の美とは、その時間の流れを受容して、しかし同時にそれを支配して生を全うしているときに訪れるものなのである。 神に深い祈りを捧げる疲れた老婆の、なんと気高いことか。この世に産み落とされ力強く泣く赤ん坊の、なんと崇高なことか。 生を捨てぬ全ての人間は美しい。 こんな簡単な真理になぜ気づけなかったのだろう。 それ以来ゆめは筆を捨て、カメラを手に取った。筆を捨てたのは恣意的に美のようなものを創作することに躊躇いを感じたからだ。 ゆめの仕事は「可愛い」の呪いに苦しむ女性たちを一人でも多く解放することである。 彼女の営む「夢見堂」には、決して多くはないけれども、それでもぽつりぽつりと、世の中の可愛いという暴力に辟易した女性が訪れるのであった。
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