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 久方ぶりだった――  無論、シグルドとは頻繁に顔を合わせている。  鍛錬のため、「近衛の長」と剣を交える頻度は、以前よりも増しているかもしれない。  だが。  あのように他愛なく語らい酒を酌み交わすなど、本当にいつ以来だったろう。  いっとき、ほんの一時。  苦悩を不安を、忘れられた気がした。  しかし、それは本当に「ひと時」のこと。  恐怖は、隙あらばすぐにアルトナルを襲うのだ。  父王にも、臣会(シング)の重臣たちにも隠し通さなければならない「秘密」――  そう。  我の「男」の(あかし)は、ほぼ潰えて。  次期国王として世継ぎを残すことすらできない。「そのこと」は。  誰にも知られてはならない――  なぜなら、我は「神々に愛された王子」なのだから。  否。  もう「王子」ではない。  アルトナルの高貴なくちびるが、ヒクリと歪む。  我は「男」ではないのだ。もう。  喉元にこみ上げる嘲笑。    そして――「王女」ですらもない。    種をつけることもできなければ、子を孕む事もできぬ。  ならばこの身は一体、なんであろう?  恐ろしい。  たまらなく恐ろしい。  我の身体はいつまで、「この形」を保っていられるのだろうか。  「男の逞しさ」を、どれほどの時間、維持していられるのだ?  「心配は無用にございます」と、あの医者(くすし)は言った。  大人の男の身体に転じてからの「欠損」であれば、身体つきには、さほどの影響は及ぼさないと。  しかし、そんなものが気休めであることが分からぬ我ではない。  そもそも、「男」の身体を維持するために必要なのは、男の「部分」なのだ。  なればこそ――  「その部分」が衰えゆく爺どもは、徐々に身体も緩み、弱っていく。  よほどに鍛錬しなければ、「男らしさ」を維持することは叶わない。  そんな(ことわり)は、世の男どもを見渡せばおのずと分かること。  だからこそ、ただひたすらに、必死に鍛えなければならないのだ。  我はまだ若く、男の盛りが始まったばかりの年頃。  今、この身体が、なよやかに力なく細まっていくなど、「あってはならないこと」なのだから。  だが我は、我の身体は。  「男」だった時と同じに、今も壮健に逞しくあるのだろうか?  この腕が、肩が、鐙を踏みしめる脚が腿が、力なく細まってはいないだろうか?  甲冑の内の胸の厚みはどうか?  白斑流星の青毛を操る、百戦錬磨の近衛の長は言う。  「アルトナル様におかれましては、太刀筋も胆力も、以前となにも、何ひとつ、変わるところはありませぬ」と。  だが果たして――  それは真実なのだろうか。  あれとは、シグルドとは。  ずっと共に過ごしてきた。競ってきた。  追い抜かれれば追い抜き返し。  馬も、弓も剣も。  背丈も。すべてを互角に競ってきたのだ。  我の腕の太さが肩が、力が。  シグルドに劣るわけにはいかない。けっして。  なのに。  今宵、相対して盃を酌み交わし、あらためて、あの男の身体の力強さに気づかされた。  揺り起こされた時、掴まれた肩。  あの男の暖かい掌の大きさ。  わずかに寄り掛かった時に気づいた、胸板の逞しさ。    あれは「男」だから。  必死にならずとも、あの力強さを保っていけるのだ。  そして、さらに鍛え抜くことも、そう困難ではないはず。  あたかも、「昔の」我がそうであったように――  それが口惜しく、そして。  ただひたすらに、己の行く末が。  ――恐ろしい。  嘲笑が、喉の奥で苦い嗚咽に変わる。  アルトナルが、苦し気に胸元を搔きむしった。  そして、ふと。  ある「違和感」に気づく。    首飾り。我の――  常に「そこ」にあるが故、その感触にも重さにも慣れ切ってしまって、今まで気づかずにいた。  いつから無くなっていたのだろう?    慌てて周囲を見回したものの、アルトナルはついに、母の似絵をひそかやかに隠した銀の首飾りを、見つけることはできなかった。
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