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 こうしてアルトナルは追い詰められる。  ひと時の猶予は得られた。だが「それ」を先延ばしにできるのも、いかほどの間か。  このところ、父王の気力は、一段の衰えを見せている。  気がついているのは、我だけではないはず、だからこそ。  臣会も、我の婚姻に焦りを見せるのだろう。  婚姻――  そうだ、解決の必要な問題だ。  そして王家の血を引く子を得なければならない。なんとしてでも、我は。  アルトナルは、ひそかに薬師(くすし)を自室へ招き入れる。  戦さ場での受傷は「ほぼ癒えた」と、周囲にはそう信じさせていた。  「かすり傷に過ぎなかったのだ」と――  だからこそ、いまだ薬師を頻繁に傍に呼んでいることなど、公にはできなかった。   「王子よ、このところ、ご無理が過ぎるのでは。御身を完全に癒すには、もう少し休息をお取りにならねば」   患部を確認し、脈を取り、薬師が低く告げる。  だがアルトナルは、短い嗤いを喉にくぐもらせるだけだった。 「なにか……お身体の様子で、特に気にかかることは?」  薬師が訊ねる。 「……身体? 『気にかかる』だと?!」  アルトナルが黄金の瞳で薬師を射抜く。  しかし薬師は、表向きはひとすじも取り乱すことなく、王子の鋭いまなざしを受け止めた。 「そうだな、傷は痛むぞ。そなたの出す薬では抑えの利かぬほどに、夜ごと疼き、痛む」 「王子よ……」 「だが、しかし」  薬師を遮るように、アルトナルが続ける。 「そのようなことは取るに足らぬ。痛みなど。取るに足らぬこと……!」  そこでアルトナルは、ふと息を途切れさせた。  取り乱しかけた自身の手綱を取り直し、深くひとつ息をつく。 「……薬師よ、我はそなたに訊ねる。我が精を女人の胎に……我の子を孕ませる方策は、なんらか考え得るや否や」  薬師がゆっくりと睫毛を伏せた。  その瞳が、自らの物とよく似た色彩であることに、アルトナルは初めて思い至る。 「畏れながら、王子」  しばし思慮を巡らせて、薬師がふたたび口を開いた。 「王子の精により、子をなす方策は見当たらぬ……としか、申し上げるほかはなく」  その理由を述べようとする薬師を、アルトナルが「もうよい! やめよ」と、鋭くかぶりを振って押しとどめる。  だが、薬師は続けた。 「お身体に残された部分では、おそらく精は蓄えられているはず。しかし、今や、その場所から子種を取り出すことは難しく。なぜなら……採取のためには、『その部分』を切り開いて行うしかなく。ただ、それは、ただ一度しか行うことがかないませぬ。ひとたび取り出してしまえば、『その部分』が新たに精を作り出すことはなく、取り出した子種が女人を孕ませる力を持つのも、僅かの刻のみ」  アルトナルは長い指先で額を支え、力なくうなだれる。  そして、 「だが、その『ただ一度の試み』を、どうにかして試すことはできよう。頃合いを見計らい、我の身体を切り開いて……」と声を絞り出した。  薬師が静かにかぶりを振る。 「もし王子がそのような御命令を下されたとて、首を縦に振るわけにはいきますまい。実行したとて御子をなす見込みは、ほぼないと申し上げるほかありませぬゆえ。そのような無謀な試みに、王子の御身を更に傷つけるなど……まるで無意味なこと。さらには……」  アルトナルは無言だった。  話を促すかのように。  薬師は続ける。 「さらには、その部分すらも取り去ってしまえば……たとえ御身が、その傷から回復したとて、お身体の様子は、今とはまるで変ってしまう恐れが。御身の雄々しさが、勇猛さが、おそらくは……損なわれることに」  「言わずもがな」であることなど――  みなまで言わずとも、王子とて、もはやすべて、理解しているのだろうと。  おそらくは知りながらも、薬師は自らの考えを結論まで奏上した。  やるせなく響く溜息。  果たして、王子アルトナルのものなのか、自らのものなのか。  それを見分けることなどできようか、と。  そのような思いを抱くほどに薬師も深く絶望の淵へと沈みゆく。  だがすぐに、自身の医師としての使命を改めて思い起こし、薬師は王子に問いかけた。 「王子よ……畏れながらお訊ね申し上げます。今、男としての欲望が御身を焦がすことが有りや無しかと」  アルトナルがゆっくりと、面を上げた。  薬師が言う。   「潰えた男陽は、ほぼすべて取り除かざるを得なかったとはいえ、王子の御身の子種を宿す部分は、さほどの深手を負わずにおられます……すなわち、それは」  するとアルトナルが、短い嗤いを喉元にくぐもらせた。 「なるほど……放出する当てもない『熱量』が、我の身の内にとどまる一方なのではないかと、そなたはそう言いたいのであろう?」  そう言い終えると、アルトナルは、くつくつとこらえ切れぬ風に含み笑いを漏らし始めた。  それは次第に、笑っているのか泣いているのか判別のつかない様子に転じていく。  そして、王子の嗤いが、ピタリと止まった。 「もうよい、大儀であった、薬師。下がれ」  それは、重い緞帳を一瞬にして落とすような声音だった。  薬師は継ぐべき言葉を失う。 「痛みがひどく御身をさいなまれる折には、どうぞこちらを」と。  薬の革袋を恭しく残し、薬師は王子の部屋から下がった。  静かに消えるように。  誰にも、その姿を見咎められることのないようにして――
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