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 「これ」を主上にお返しせねば。  出来るだけ早く――  誉れ高き近衛の長、黒き騎士シグルドは、掌の内の銀の首飾りを強く握りしめる。  王子にとって、これが、どれほど「大切なもの」であるのか。  誰よりも知っているのは自分なのだから。  ついうっかりと、王子の物を持ち帰ってしまった。  そんな自身の不始末を、シグルドは悔やんでいた。  早くお手元に戻さなければ。  王子が、紛失にお気づきでないはずもない。  不安に思われているはず。おそらく。きっと。  だからといって、王子の従者を呼びつけ預けるようなことはできない。したくはない。    これを、王子は決して他人の手に触れさせはしなかった。  そのことは、幼馴染であり乳兄弟であるシグルドが誰より良く知っている。  幼い頃からアルトナルは、この首飾りを手ずから磨き大切にしていたことを。     王子の母ヘルカの係累は、国の名家だ。  一族は、物づくりや商いに手広く関わっており、裕福でもあった。  とはいえ、家柄に比して暮らしぶりは簡素であり、職人や雇人にこそ手厚い保護を行っていた。  そんな一族だ。王家や臣会の信頼も大きい。  今、シグルドの手の内にある王子の首飾り。  それは、母の実家に縁付く銀細工士の品だった。  おそらく、もとは王妃ヘルカの所有物だったのだろう。  首飾りの小さな薄い箱の内には、王妃ヘルカの似絵が収められている。  しかしシグルドは、その蓋を自身の指で開けてみる気にはなれなかった。  なぜならそれは、自らが全身全霊で仕える主上の、最も大切なもの。  己ごときが容易く触れ、見てはならないと。  そう思っていたからだ――  けれども、首飾りの細工はひどく繊細だった。  王子の首筋から床に落ち、そして自分が上衣の内に収めた折、万が一にも破損してはいないだろうかと。  そのことこそ、シグルドは気にかかっていた。    確めるために、一度、蓋の留め具を押す。  小さな音がして、掛け金が外れ、蓋が開いた。  古い絵だったが、色彩はいまだ鮮やかだった。  写し取られた王妃のまなざしが儚げなのは、病を得てからの絵だからなのか。  王妃ヘルカは、本当に美しかった。  シグルドが覚えていたとおりに、変わらぬ姿が、そこにはあった。  そう焦るシグルドの心とは裏腹に、王子は、その後数日にわたり、シグルドの元を訪うことはなかった。  このところは二日とあけず、「鍛錬のため」と剣の相手を求め、近衛の詰所に姿を現していたというのに。    公務が御多忙なのか。  まさか……御身になにか。  ああ、やはり「あの宵」、酒が過ぎたのかもしれない。  ただでさえ、傷を押しての無茶な鍛錬をお続けだったのだ。   シグルドの心中は千々に乱れる。  けれどもその思いは、冷徹に引き結んだくちびるのうちにひた隠しにされた。  そして夕刻。  務めを終えたシグルドは、もはやたまらずに王子の私室へと向かう。  あの夜、新たに確かめた人目に触れぬ通路をたどって。
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