第16話『奇妙なティータイム』

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第16話『奇妙なティータイム』

杏花はテーブルに座る男を見つめた。 白いテーブルと対称な、真っ黒なスーツを身に纏った男を。 エクレア伯爵…もとい、ゾークは掌で椅子を指して、どうぞと促す。 杏花は向かいの椅子に座った。 柘榴はティーカップに紅茶を注いだ。 テーブルの中央には、お皿に可愛くクッキーなどのお菓子がある。 ダージリンの香りと、お菓子の甘い香りが鼻に付いた。 しかし杏花の眉間は少し寄っている。 やはり闇界だからだろうか…? 杏花の身体に、重い何かが乗っているような息苦しさを感じた。 居心地は悪いが、今はそんな事を言っている場合ではない。 「…あなたが…エクレア伯爵?」 杏花の信じて疑わない真面目な発言に、ゾークは吹き出しそうになる。 だが考えてみれば、そんな称号を付けられた自分が一番馬鹿っぽくて悲しくなった。 「…あ、あぁ。そうだ。お前の名は?」 「杏花です。本当は王様にお会いしたかったんだけど…」 「王に会ってどうするのだ?まさか天王と仲良くしろと?」 「…そこまで私が言える権利はないです。ただ、意図を知りたいんです」 ゾークはピクリと眉を動かした。 真っ直ぐに自分を見つめる瞳は、どこか懐かしさを思い出させる。 「あなたは王の真意をご存知ですか?」 「…さぁ。ただ、天界の王を酷く憎んでいる。それだけは確かだ」 そう言って、ゾークは紅茶を口にする。 「……あなたは、私を本気で相手にしていないんですね」 真っ直ぐな瞳に、微かに怒りが見える。 「瞳の色に何も宿していないもの。そんな人が本当の事を話すはずがないわ」 傍で見ていた柘榴は、また杏花に驚かされた。 こんな少女が、ゾーク様の瞳の色で心の内を見透かしている。 そして同時に柘榴は警戒の色を強くした。 甘く見れば、自分も見透かされる…と。 「…それはすまなかった。少々君を軽く見ていたようだ。詫びよう」 「…闇界の王様は…あなたに、なんて心の真意を打ち明けたの?」 その言葉の重みが辺りを静寂で包む。 「…王はこう言っていた。これは天界の天使の『保護』である。と…」 「…保護?」 「お前は天使が、王という名の呪縛で自由が失われている事を知っているか?」 「何を言っているの…?琥珀さんたちは自由よ?王宮壊しても怒られないし、毎日漫才して楽しんでいるんだから!」 ゾークは後半部分が気になったが話を続けた。 「確かに日常は楽しいだろうな。しかしお前は天使達が王に背いた所を見た事があるか?」 杏花は思い返した。 「…ないわ」 「そうだ。あるはずがない。それは彼らが生まれた瞬間に王によって制御されているからだ。…彼らは『反抗』というものを知らないのだ」 杏花は大きく目を見開いた。 その事実に杏花は言葉が出ない。 「…日常のまどろんだ中にいれば、尚の事気付かぬものだ…」 「…だけど…反抗があれば、内乱という形にも成り得る…それを避ける為にダーツさんは…!」 「しかし、天使の自由を縛り付けているのも事実だ。だからこそ我は『解放』してやりたいのだ…!!」 ゾークは言い終わった後に、はっとした。 感情に任せて本音を言ってしまったのだ。 しかも、ゾークとして…。 柘榴は勘付かれたと思い、顔を強張らせた。 「………エクレア伯爵…」 嘘もここまでか…と柘榴は思った。 …が、杏花の答えは違うものだった。 「一人称が『我』って…初めて聞いちゃった。…なんか可愛い…プ…」 28a1129f-d49d-46a7-b35b-07ddec80dd89 クスクス笑う杏花に、ゾークと柘榴は固まった。 (ば…バレていないな!?柘榴!) (はい、ゾーク様。ナイス一人称です) と、アイコンタクトで会話をした。 「…って、笑いすぎだぞ!娘!」 「杏花だってば。ねぇ、『我』って、もしかして本気で…?」 「うむ。我はずっと我だ!!」 「あはははは!!可愛い〜!!!!」 「おい!馬鹿にしてないか!?」 「し…してな…フフ…も…お腹いたぁい…!!あはは!」 杏花は笑いすぎて紅茶を一気に飲み干した。 「ふぅ…ごめんなさい。真面目な話してる時に笑っちゃって…」 頬を少し紅くして、反省したようにゾークに頭を下げる。 「…感情の起伏が激しい奴だな」 「もう一回、『我』って言って?」 「嫌だ!!誰がもう言うか!我をからかう…あ!!」 「あはははは!!引っかかった〜!!」 悔しそうにゾークは、うぬぬ…とぼやいた。 真剣な表情は気高く美しい。 ふざけて笑う顔は少女のようにあどけなく可愛らしい。 一体どちらが彼女の顔なのだろうか…? 柘榴さえも掴めない彼女は、本当に不思議な存在だった。 一方、天界は混乱していた。 杏花がいなくなったのである。 正確な情報は、天界のはずれに住む未来を見通す占い師が伝えたのだ。 大きな犬のような獣が少女を背に乗せて、天界の王宮を訪れたのは先程だった。 天界一の占い師である『水晶(みあか)』は、未来を見通せる。 薄い水色の髪は肩まで、赤いカチューシャがキラリと光る。 空の色のような青い瞳を持っている、まだ幼さの残る少女だ。 その横で寄り添う大きな獣は『犬獄丸(けんごくまる)』。 獣の姿は大きな山犬のようだが、人の姿に戻れば全身真っ黒なローブで身を包んでいる。 瞳を布で覆っているので視界はまったく使っていない。 それでも鋭い嗅覚と聴覚、そして研ぎ澄まされた感覚で周りを認識しているので、彼はなんら不自由はしていないようだ。 1c0aee52-3652-435e-a3bf-705c9616404b 端から見れば、占い師っぽいのは犬獄丸だ。 水晶からは『マル』と愛称を付けられている。 彼は世界に一人ずつ存在する『精霊獣』の一人だ。 つまり、闇界にいる虎・大牙の兄弟にあたる。 犬獄丸は、天界の精霊獣なのだ。 しかし、彼は自分の意思で水晶の傍にいる。 率直に言えば、獣が天使に恋をして、そのまま一緒にいるのだ。 精霊獣は王から作られた者ではないので自由に生きていける。 そういった点が『精霊獣』と『石から生まれた者』の違いでもある。 水晶は天王に、見通した未来を告げた。 杏花が自分でドアを開けて闇界へ行った…と。 その言葉にダーツは目を見開いた。 一瞬、嫌な想いが脳裏をよぎる。 杏花も、奪われたのかと…。 「…すみません。私がもう少し早く未来を見通していれば…」 落ち込む水晶に犬獄丸が言葉を紡ぐ。 「仕方ないよ、水晶。水晶は寝ないと未来が見えないんだから。今日はお昼寝が遅くなったからね」 「…あんまりフォローになってないよ。マル」 「そうかい?」 なんだかマルの言葉もあって更に落ち込む水晶だった。 そんな二人の横から、ダーツの居る玉座に一歩近づいた天使がいた。 「天王様!俺が行きます!!」 一番に杏花を助けに行くと言い出したのは瑠璃だった。 しかしダーツは首を振る。 「…ならぬ。お前が行っても戦いが広まるだけだ…」 「天王様!!そのような事言ってる場合じゃ…」 「瑠璃。俺らが行って、あっちが杏花様を人質にとったらどないするんや?」 「だけど…もう、誰も失いたくないねん。兄者。止めんといてくれ!」 すぐにでも闇界に行きそうな瑠璃の肩を琥珀が掴んで止めた、その時だった。 「お静まりになって、瑠璃さん」 そして瑠璃の左頬がスパアァン!とはたかれた。 肩を掴んでいた琥珀も、驚きのあまり手を離した。 そのせいで支えるものがなくなった瑠璃は床に手をついた。 叩かれた本人が一番驚いているのは確かだ。 「あなたが戦闘態勢で行く事が、どんなに無謀で危険な事かお分かりでしょう。動じない精神と揺るがない信念、そして冷静な判断こそが番兵の在るべき姿ですよ」 そう微笑みながら言う女性に、瑠璃は頬を擦りながら答える。 「…だからって何も叩く事ないんとちゃいますか!?砂金さん!」 「冷静になるには一旦、頭をリセットしなければいけませんよ」 にっこりと微笑み返す女性の名は『砂金(さき)』。 肌は白く、髪と瞳は黄金のような金色だ。 さらさらな髪は腰あたりまで長く、シルクのように繊細で美しい。 「砂金。花園からここへ呼んだのは他でもない…」 ダーツは砂金を見つめた。 砂金も一礼した。 砂金は『石の天使』以外の天使が生まれる『花園』を管理している天使だ。 その清らかな歌声は天使達の生まれる花『天華(てんか)』を花開かせる。 それ故に彼女は『歌姫』と呼ばれるのだ。 砂良の姉でもある。 「私が、杏花様を連れて帰ってきましょう」 そう言って微笑むと、砂金はドアをくぐっていった。 場所を移して闇界。 「へー、ノアさんってお兄さんがいたんだ!」 「あぁ、番長ってんだ。よろしくな♪」 fdabcf63-8835-40a6-8fb5-82e1eaa398a4 ニコニコと答える『番長』こと紅は、内心おもしろい展開と内容にゲラゲラ笑っていた。 そんな紅の後ろで、凄まじい怒気と殺気を放っているのは柘榴だ。 (だれが…あなたの弟ですか…っ…!!!) 「仲いい兄弟だよなぁ…?ノ・ア?」 柘榴の肩に手をかけて促す。 「…は…い…にい…さん…」 柘榴の、かなり嫌そうな笑顔が紅のツボを刺激して笑い転げそうになる。 杏花は、あまりにもわざとらしい発言と殺気のこもった雰囲気に気付いていない。 それに気付き、汗だくで見ているエクレア伯爵はティーカップを微かに震えさせた。 「…私、凄く勘違いしていました」 「何をだ?」 ゾークは、ふいに呟いた杏花の言葉に問い返した。 「闇界って王様が独占した世界で、みんなそれに従って戦争してる哀しい所かなって…だけど、それは違うって思えてきました」 ゾークは黙って杏花の言葉を聞き入れている。 その瞳は真っ直ぐで目が逸らせない。 「みんな、私たちと変わらず笑っているし、静かな時間を過ごしている…世界が変わっても、みんなの笑顔は変わらないんだって気付かせてくれました」 杏花の真剣な瞳が細まり口角が上がる。 「あなたと会えてよかった。…ありがとうございます」 その微笑みに、ゾークは少し懐かしむような表情を見せた。 「…我も、お前と話せてよかったと思う…」 「この戦争を終わらせたいんです。…そして皆の笑顔を守りたい…」 その言葉は重く、そして純粋にゾーク達の心に響いた。 その時、紫水が中に入ってきた。 「ぞ…エクレア伯爵様、お客様のお迎えの者が来られました」 「紫水…(おまえにエクレア伯爵と言われると微妙だ…)わかった。通せ」 ゾークがそう言うと、紫水の後ろから砂金が歩いてきた。 杏花は見た事のない天使のお迎えに驚いて戸惑った。 「え?お迎えって…」 「杏花様、帰りましょう。私の名前は砂金。お目にかかるのは初めてですわね」 「はい…」 「私は『花園』に住んでいる者ですから無理もないですわ」 その言葉にゾークは眉を顰めた。 「花園の…!!」 「はい。私が今の歌姫です。…それがなにか?伯爵様」 「歌姫って…もしかして砂良さんのお姉さん?」 「はい。さぁ、帰りましょう。杏花様」 そう言われ優しく手を取られた。 砂金の後ろに杏花がくぐってきたドアが出現した。 どうやら、瑪瑙が繋いだようだ。 ドアをくぐる前に杏花は振り向き、ゾークの瞳を見た。 「今度は闇界の王様に会いたいの。アポってどうやったら取れるの?」 「…我が伝えておこう。…いつか、王に会わせてやる」 「うん。約束よ。我おじさん♪」 「なっ…!!誰が我おじさんだ!!おじさんって歳ではないぞ!」 「女子高校生から見ればおじさんよ。ノアさんもありがとう!!」 柘榴は一礼した。 自分は純粋な彼女を騙し続けた罪悪感に、頭を下げるしかなかったから…。 ドアが閉じて、なにも無かったかのように姿を消した。 ゾークはそのまま立ちすくんで、杏花の言った言葉を思い出していた。 自分に意見した女は杏花で二人目だった。 そして…こんなに自分の本音を出せたのはいつ頃ぶりだろうか…。 少し名残惜しくなったのは、気のせいであってほしい。 柘榴の表情も複雑だ。 そんなゾークに紅がポンと背中を叩く。 「おもしれぇ子だったな。我おじさん…ブブっ…!」 手で口を覆い、肩を震わせる紅は吹き出す寸前だ。 「紅…貴様…!!」 「…我おじさん…」 ぼそっと小さく呟いた紫水をゾークは睨み返した。 「お前もか!!紫水!」 「興奮しないでください。我伯爵」 「混じってる!!混じって短縮されてるぞ紫水!!!」 当分このネタで弄られるゾークだった。 天界の王宮に帰った杏花は、皆に心配されていた事を知って謝った。 「勝手な事をしてごめんなさい…」 「杏花様…心配しました。もう一人で危ない所に行ったらあかんですよ」 眉間にしわをよせて、杏花のお母さんのように怒る瑠璃を、琥珀はなだめた。 「まぁまぁ、こうして砂金が連れてきてくれたんやし。俺たちもうかつやったしな。砂金もすまんなぁ。わざわざ…」 「いいえ、私もお会いしたかった所でしたから。今度王宮から抜け出したい時は花園に遊びにきてくださいね。杏花様」 砂金のすぐ後から、水晶も杏花に話しかけた。 「私の所でもいいですよ。美味しいお茶とお菓子を用意して待っていますから!あ!天王様との恋愛占いとか見てあげますよ♪」 「えぇ!?…ってあれ?ダーツさんは?」 キョロキョロと辺りを見渡す。 「天王様なら自室に戻ったよ。…水晶、そろそろ帰ろう。日が暮れる」 「あ、もうこんな時間!!じゃぁ皆またね!」 そう言って水晶は犬獄丸の背に乗って、夕暮れのかなたに飛び去っていった。 「では、私も失礼します」 砂金は一礼して踵を返した。 「あ、待ってや砂金!送るで!瑠璃、後よろしく!」 「おいこら兄者ぁ!!!」 瑠璃を残して琥珀は砂金の元へ走って追いかけた。 「まったく…杏花様は天王様の所に行ってください。酷く心配されてましたから…」 「うん。ありがとう。…ねぇ、瑠璃さん」 「なんですか?」 「…あの時、私が硫化を逃がした事、責めてもいいと思う。私は瑠璃さんの心を酷く傷つけた…それほど、私がした事は重いものだって解ってるから…」 瑠璃は杏花の正面に立った。 「俺はあなたを責めようとは微塵も思いません。確かに硫化は天界を裏切って闇界に堕ちた…だけれど今想う事があります。…あの時、俺が引き止めていても、きっと硫化はいつか闇界に行ってしまうだろうと…。…それほど好いた男がおるんなら硫化の幸せになるんやないかと…」 「瑠璃さん…」 「俺はもう迷いません…迷わないように強くなりたいから…」 そう言い残して瑠璃は去っていった。 杏花も納得して、瑠璃の後ろ姿に頭を下げた。 少しだけ…心が軽くなった気がした…。 ダーツの自室に入った杏花は、まずダーツに謝った。 5db9d5db-1526-4acd-91cc-195b2fe7aa86 しかしダーツは無言で杏花を抱き締めるばかりで…。 「…ダーツさん?…怒ってる?」 「……これで怒らないなら、君の事を心配などしないよ」 「ごめんなさい…」 「今日は優しさなど出してはあげないよ…」 え?と顔を上げてダーツの顔を見ようとした瞬間に、杏花の顎をダーツの手が捕らえた。 不意打ちのキスは軽く触れるものではなく、情熱的なキスだった。 杏花を壁に挟みうちにして逃げれないようにする。 何度も角度を変えてダーツは杏花に想いをぶつける。 その想いが杏花の神経を麻痺させて動きを鈍くさせる。 ギュッと握り締めたダーツの服のしわがきつくなる。 やっと唇が離れて、とろんと潤ませた杏花の瞳をダーツは見返した。 「杏花…私は君の夫になる者であり、君は私の妻になる女性だ。わかるかい?」 杏花はコクンと頷く。 「私を心配よりも先に嫉妬に狂わせないでおくれ…。醜い心など君に知られたくない…」 そう言って、ダーツの頭が杏花の肩にのしかかる。 その重みが愛おしさをこみ上げさせる。 堪らず杏花はダーツを抱き締めた。 「ううん…。醜くないよ…ダーツさんの、そんな心さえも大好きだから…」 「私もだ…。君のなにもかもが愛おしくて…」 その先は言わずに、ただ杏花を抱き締めた。 君の何もかもが愛おしくて… 君のなにもかもが欲しいと願ってしまう… それは、ただの我が儘なのだろうか……。 そんなダーツの想いは固く心の奥に閉じて、暗い海の底へ沈んでいった。 杏花は柘榴に出されたダージリンの香りが、未だ神経を刺激している気がした。
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