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第1話『天に目覚めた少女』
この世には、5つの世界が存在している。
天界、魔界、闇界、精霊界、そして人間界。
この物語は、その中でも『天界』と『闇界』の戦いの記録。
そして物語は、天界の王と恋に落ちた人間の少女の目覚めから始まる。
少女は、目を覚ました。
ずっと、長い時間を眠っていたような気がした。
僅かに瞼を開けると、まるで暗闇に光が差し込むようで、視界に映る世界が眩しい。
見なれない天井。今、自分はベッドに寝ているという事だけ、かろうじて認識できた。
ふと、仰向けにしていた顔を横に向けると。
ベッドのすぐ隣で、誰かが自分の事を見ている事に気付いた。
「目覚めたのだね」
そう言って優しく問いかける、男の人。
アクアブルーの長い髪、瞳。とても落ち着いた感じの、大人っぽい人だ。
あまりに綺麗な容姿と高めの声に、思わず『男の人…?』と、
聞きたくなるくらいの女性的な印象を受ける。
「えっと……あの………私……」
少女は何かを言おうとした。何故、自分はここで眠っていたのか。
何故、ここで目覚めたのか。あなたは一体、誰なのか。
「あ、あれ……??」
聞きたい事は沢山あるのに、言葉が出ない。
頭が、混乱している。
「無理はしなくていい。落ち着いて答えるのだ」
その男性の口調は力強くも、安心するものだった。
そして、逆に男性の方からの質問で会話が進んでいく。
「自分の名前は言えるか?」
「………杏花」
「では、私の事は分かるか?」
「いいえ………。あなたは誰?それに、ここは?」
杏花がそう問いかけると、男性は少し悲しそうな顔をした。
「私の名はダーツ。そして、ここは天界」
「てん………かい?」
杏花は目を見開いた。真面目そうに見えて、この人は何を言うんだろう……と。
だが、落ち着いてみれば、不思議と疑問には思わなかった。
この人の言う事は、なんでも信じられる気がする。
杏花は起き上がった。ベッドから下りようとしてちょっと足下がふらつくが、
ダーツが身体を支えてくれた。
「あ、ありがとう……ございます」
緊張気味にそう言って、杏花は窓に向かって歩いた。
大きな窓から外の景色を眺めると。
「…………!!」
杏花は声を失い、その風景に見入った。
一面に広がる花園、青空、広大な土地。
その景色の中には、時々羽根を持った人が空中を行き交うのが見える。
一瞬で、全てが信じられた。思っていた『天界』のイメージと同じだったから。
「ねえ、あの人達は天使!?」
杏花は思わず、笑顔で振り返った。
ダーツは、微笑み返しながら杏花に歩み寄る。
「ああ。そして、私がこの世界の王、『天王』だ」
天界の王は、称号として『天王』と呼ばれている。
「あなたが、王様!?」
杏花は、改めて背の高いダーツを見上げた。
そう言えば、この落ち着き様といい、上品さといい……確かに威厳を感じる。
ダーツは、杏花の頬にそっと片手で触れた。
突然の事に、杏花は思わず硬直した。
「やはり、お前の記憶は失われてしまっているようだ。『転生』の代償は大きかった……」
「え?何言って……」
杏花は、戸惑った。あまりに、ダーツが悲しい眼を向けるから。
それに、ダーツの言っている事が分からない。
さらに、杏花は自分の事すら何も思い出せない事に気が付いた。
名前や、普通に女子高生として暮らしていたという漠然とした事は思い出せる。
だが、それ以外の事は何も思い出せない。
杏花は、壁に立て掛けてある大きな鏡に自分の全身を映してみた。
肩にかかる程の長さの栗色の髪に、制服姿。これが自分の姿であるという認識は出来た。
ダーツは、優しく杏花の片手を取った。
「そのうち、記憶は戻るかもしれぬ。皆に杏花の姿を見せるとしよう」
杏花は手を引かれるまま、部屋を後にした。
不思議な感じがする。ダーツさんって、前にもどこかで会った事があるような…。
そんな簡単な事ではなかった。どこか、愛しさに近いものを杏花は感じていた。
杏花が連れてこられたのは、広く、透明感のある白を基調とした『間』だった。
壇上には、玉座がある。
ああ、ここが天界の人達が王様に謁見する為の部屋なんだな…という事が雰囲気で分かった。
「………で、なんで私もここに座るんですか?」
玉座に座ったダーツの隣の椅子に座らされ、杏花は縮こまっていた。
ダーツはキョトン、として杏花を見た。
「………なにが疑問なのだ?」
ダーツさんって意外と天然なのかも……、と杏花は思った。
「だって、どう考えてもこの席って王妃の座る位置でしょ!?」
「ああ。だから、間違っていないだろう?」
「ちょっ!それってどういう意味………!!」
杏花が一人で取り乱していると、いつの間にか玉座の前に二人の男が立っていた。
ハっとして、杏花は姿勢を正して席に座った。
その二人の男は髪の色が違うものの、顔はそっくりなので双子だろう。
二人とも、軍服のような制服を着ていた。
年齢は見た目、20歳くらいだろう。
「杏花、紹介しよう。彼らは双子の番兵で、この王宮を守っている」
ダーツがそう言うと、二人の番兵は礼儀正しく頭を下げ、跪いた。
まず最初に、黄色い髪の男が名乗った。
「兄の琥珀です。よろしゅう頼みまっせ、杏花様♪」
杏花は、ズルっと椅子から落ちそうになった。
顔に似合わず、何とも明るく………そして、この口調は………。
「兄者!真面目にせんかい!」
隣の青い髪の方の男が、琥珀にどなりつける。
それは怒るというよりも、ツッコミを入れている感じだ。
「初めまして、杏花様。弟の瑠璃です」
弟の番兵・瑠璃は、礼儀正しく名乗った。
どうやら、瑠璃は兄と違って、真面目な性格なようだ。
しかし、『兄者』って……随分と昔風な呼び方な気が……。
「えっと、杏花です。よろしくお願いします…」
杏花は戸惑いながらも、双子に向かって頭を下げた。
琥珀と瑠璃。その双子の名前を聞いて、杏花はある事に気付いた。
「『琥珀』と『瑠璃』って、たしか両方とも石の名前よね?」
『琥珀』とは別名、アンバー。黄オレンジの石。
『瑠璃』とは別名、ラピスラズリ。青い石。
そういえば、琥珀の髪は黄色だし、瑠璃の髪は青色だ。
すると、玉座のダーツがその疑問に答えた。
「彼らは、私が石から創り出した天使なのだ」
「えっ!?ダーツさんが二人を生んだの!?」
杏花は思わず、椅子から身を乗り出した。
「彼らだけではない。石の名を持つ天使は皆、私が創りだした」
さすが、天界の王様……。石から命を生み出すなんて……。
ダーツさんって神様なのね、と杏花は驚きの眼でダーツを見る。
さっきよりも、ダーツの姿が神々しく見えてしまう。
「えっと、琥珀さんと瑠璃さん」
杏花が二人の名を呼ぶと、琥珀は明るく笑って壇上の杏花を見上げた。
「ああ…杏花様は可愛えお方やな、めっちゃ好みや〜♪」
「兄者、天王様の御前やで、静粛にしい!」
「心配あらへんて、俺は天王様一筋やで♪」
「人の話を聞かんかいッ!!」
杏花は二人の会話を聞いて、唖然とした。そして、確信した。
これは、完全に関西弁……!!しかも、二人の会話はまるで漫才!!
どうやら、兄の琥珀がボケ役で、弟の瑠璃がツッコミ役らしい。
これではまるで、番兵兄弟ではなく、漫才兄弟である。
そんな杏花の隣で、ダーツは軽く溜め息をついた。
だが、漫才兄弟のおかげで杏花の緊張感が取れ、思わず二人の会話に笑ってしまった。
「よっしゃ!杏花様にウケたで!掴みはバッチリや!」
琥珀が拳を握りしめてガッツポーズをした。
「ねえ、二人とも天使なのよね?羽根がないけど……」
杏花が聞くと、瑠璃が真顔で答えた。
「はい。普段は隠していますが、羽根はあります」
どうやら、普段や漫才の時は関西弁だが、ちゃんと標準語もしゃべれるらしい。
すると、琥珀が乗り気で明るく答えた。
「なんなら、お見せしまっせ!」
そう言うと、琥珀は背中にバサっ!と大きな白い羽根を出現させた。
純白の天使の羽根。その美しさに杏花が見とれる前に。
「ぶっ!!」
すぐ隣にいた瑠璃の顔面に、琥珀の片方の羽根が覆いかぶさった。
「兄者ぁ!!調子に乗り過ぎやで!!」
「あ、悪い、るーちゃん。」
杏花はクスクスと笑った。
「面白い人達ね。天界の天使って皆こうなのかしら?」
だが、ダーツは複雑な心境だった。素直に笑えない。
「あんなに面白い性格にしたつもりはないんだが……」
天使の生みの親であるダーツにとっては、我が子を見ているのと同じ心境だった。
「杏花、疲れてはいないか?」
ダーツがそう聞くと、杏花は元気のない笑顔を作った。
「うん……何もかもが突然だし……何も思い出せないし……」
だんだんと沈んでいく杏花の声。
杏花は記憶を失っている上に、いつの間にか天界に連れてこられたのだ。
どういう経緯で自分がこの場所にいるのか、考えるほど杏花は混乱していく。
ダーツは杏花を気遣った。
「ならば、今日はここまでにしよう。琥珀、瑠璃」
「「はい!!」」
二人は声を揃えて、姿勢を正した。
「杏花を、診療所へ連れて行け。その後、休ませてやるのだ」
「「了解しました!!」」
そうして、杏花が琥珀と瑠璃に連れられて部屋を出て行こうとした時。
「すまない……杏花」
杏花の後ろ姿に向かって、ダーツは小さく言った。
え?と、杏花は振り返った。
その時にはすでに玉座にはカーテンが下ろされていて、ダーツの姿は見えなかった。
(なんで…………謝るの?)
どこか、胸の中に痛みを感じた。
杏花が連れてこられたのは、王宮の離れにある建物だった。
何故、王宮から離れた場所にあるんだろう?と、杏花は不思議に思った。
その小さな建物を前にして、琥珀と瑠璃は足を止めた。
「ここが、診療所です。ここには、天界一の医師が居ます」
真面目な瑠璃が説明した。
「せやけど、杏花様。その医師にはホンマ、気ぃ付けて下さい」
明るい性格の琥珀も、真剣に言った。まるで、敵地を目の前にするかのように。
「え?どういう事??」
「会えば分かりまっせ。瑠璃、開くか!?」
瑠璃が診療所のドアを力一杯引くが、開く気配がない。
「あかん!また、研究に没頭して引き込もってるんとちゃう!?兄者、どないする!?」
「るーちゃん、撃破や!!」
「よっしゃ!」
瑠璃は拳を力一杯、診療所のドアに叩き付けた。
ドガッ!!
破壊音と共に、ドアは一瞬にして砕け散った。
杏花は、唖然としていた。何が起こったのか分からない。
「えっと………、瑠璃さんって力持ちなのね……」
そんな言葉しか出なかった。琥珀が、明るい笑顔で答える。
「ああ、瑠璃は天界一のバカ力やで♪」
破壊されたドアの奥から、ゆっくりと人影が現れた。
「ああ〜〜もう、乱暴だなあ、番兵くん達は」
気が抜けるような、ゆったりした口調。
白衣を纏った男性。顔には小さな眼鏡。赤みがかった長い髪を、後ろで結んでいる。
見た目、年齢は琥珀と瑠璃よりも少し上だろうか。
「彼が、天界一の医師、瑪瑙さんや」
琥珀がそう言うと、瑪瑙は杏花の姿を見て歩み寄ってきた。
「ああ、あなたが杏花様ですね。僕は王宮専属の医師、瑪瑙です」
ニコニコと愛想のいい笑顔を向ける瑪瑙。印象は悪くない。
その名から、瑪瑙もダーツによって石から生み出された天使だという事が分かる。
『瑪瑙』とは別名、アゲートという石だ。
「突然ですが杏花様、診察させて下さい!!」
瑪瑙が突然、眼をキラキラさせて杏花に迫った。
「え…!?え!??」
はぁあ、と、瑠璃が溜め息をついた。
「また始まったで、瑪瑙さんの悪い癖が〜……」
だが、瑪瑙は邪気のない笑顔で主張する。
「だって、人間が天界に来たのは初めてなんだもん。研究したい♪」
琥珀の言う所、瑪瑙は医師としての腕前は一級なのだが、趣味が『研究』らしい。
何か興味のある研究対象を見つけると診療所にこもり、何日も外に出て来ない事もある。
さらに発明や開発も得意で、ウィルスや薬、機械でも作ってしまうという。まるで化学者である。
琥珀と瑠璃は杏花を診療所に預けて、番兵の仕事に戻った。
杏花は不安に思いつつも、大人しく瑪瑙の診察を受けていた。
「うん、大丈夫。異常なし♪」
瑪瑙は聴診器を外すと、カルテを書きはじめた。
こうして見ると、普通の医師と何の変わりもない。
「後は、ゆっくり休んだ方がいいですね。目覚めたばかりだし、何かとお疲れでしょう?」
「あの………瑪瑙さん」
「なんですか?」
「さっき、人間が天界に来たのは初めてだって言ってたけど……どういう事なの?」
今までの疑問と不安が一気に溢れだし、杏花は泣きそうな顔をしていた。
「私は、なんでここにいるの?」
瑪瑙は杏花の心の不安を察し、安心させるように笑いかけた。
「これは、ある昔話なんですが」
突然、瑪瑙が何かを語り始めた。
「人間界へ降り立った異世界の王様が、人間の少女と恋をしたんです」
不思議と、杏花はその物語に自然と聞き入った。
「やがて、結ばれる事を強く望んだ王様は、少女を自分の世界へと連れ帰る事にしました」
「少女もそれを望んだの?自分の世界から離れてまで?」
杏花の質問に、瑪瑙は頷いた。
「そのくらい、二人の絆が強かったんですね」
「それで、どうなったの?」
杏花は、不思議なくらい、その話の続きが気になった。
「人間を天界で暮らせるようにするには、一度『転生』させる必要があるんです」
「転生……」
杏花は、何かを思い出した。
そういえば、ダーツさんも『転生』がどうとか言ってたような…。
「転生は成功しましたが、その代償として少女は記憶を失いました」
「え……?それって、もしかして……」
杏花は気付き始めた。この物語の『王様』はダーツの事であり、『少女』は自分の事であると。
瑪瑙は、遠回しにそれを教えてくれているのだと。
「記憶は失いましたが、転生によって少女は天使と同等の寿命を手に入れた訳ですけどね」
「天使の寿命ってどのくらいなの?」
「さあ……天使は一定の年齢になると、そこで成長が止まり、ずっと同じ姿ですから」
「琥珀さんと瑠璃さんとかは?20歳くらいに見えるけど…」
「見た目は、ですよ。実際は数千年生きてます。天王様は数万年生きていらっしゃいますよ」
「えっ!?ダーツさんが!?」
思わず、改めてダーツの姿を思い出してみる。どう見ても、20代にしか見えないのだが…。
つくづく、神様なんだなあ…と、杏花は思った。
「まあ、これらの話は昔話ですから。信じる、信じないは自由ですよ」
そう言って、瑪瑙は笑った。あくまで、杏花の混乱を避けるように配慮しているのだ。
天界の人達は変わった人が多いけど、皆優しいんだな……と杏花は感じた。
そんな人達と出会っていく度に、今までの不安が少しずつ溶かされていく気がした。
「お疲れでしょう、少し休みますか?ベッド、お貸ししますよ」
「ううん、もうちょっと話していたいわ。色々教えてくれる?」
「はい、僕が知っている事なら。これでも、番兵くん兄弟よりも数千年長く生きてますから♪」
しかし、杏花最大の難関は、その日の夜にあった。
なんと、杏花の寝室はダーツと同室だったのだ。
「………なんで、私がダーツさんと一緒に寝るんですか?」
さすがに、杏花はダーツのベッドの前に立ち尽くし、プルプル震えていた。
「なにが疑問なのだ?」
相変わらず、ダーツは平然とした顔をして、すでにベッドの上にいる。
ああっ!!もう、本当にこの人は天然!?と、杏花はキレそうになってきた。
「疑問だらけよっ!!どう考えてもおかしいでしょ!?」
だが、ハっとして杏花は瑪瑙の話を思い出した。
私は、この人と恋に落ちた…?そう考えると、ダーツにとっては当然なのかもしれない。
だが、杏花にはその記憶がない。全てを受け入れる事は出来なかった。
「こ、こっちのベッドで寝ます………」
杏花は、ダーツのベッドから少しだけ離れた所にある、もう1つのベッドに入った。
同じ部屋で寝るというだけでも勇気がいるのだが、今の杏花にはそれが精一杯だった。
「お休み、杏花………」
そう言ったダーツの声が、優しく耳に届いた。
ああ、やっぱり………この声、前にもすぐ近くで聞いた事がある気がする。
すぐ近くに、ダーツさんが居る。そう感じるだけで暖かく、安心する。
杏花の潜在意識の中には、ダーツに対する愛しさが、今も確かに残っていた。
そうして、自然と眠りにつく事が出来た。
その頃、ダーツの部屋の外では。
琥珀と瑠璃が、ダーツの寝室の扉を守る番をしていた。
番兵である彼らは、昼間は王宮の正門を守っているが、夜になるとこの部屋を守る。
天王ダーツを守る。それも、彼らの仕事なのだ。
そうして、夜中になっても二人の漫才は続く。
「天王様と杏花様、今頃ベッドでよろしくやってるんやろなあ〜」
そう琥珀が呟くと、瑠璃がすかさずツッコミを入れる。
「な、何言ってんねん!!いきなり、そんな訳ないやろ!!」
「なに、赤くなっとるん?るーちゃん、可愛え〜〜♪」
「兄者ぁあ!!」
「ああ、羨ましい〜〜。俺も、天王様と一緒にベッドインしたいわ〜」
琥珀は、美人であれば男でも女でも構わず惚れてしまうという危険思想を持っている。
中でも、ダーツに対する惚れ方は、幼い頃から異常なまでだった。
「気色悪いで、兄者……」
そんな琥珀の性格を知る弟・瑠璃は、真顔で琥珀にツッコミを入れた。
そんな二人の漫才トークは、朝まで延々と続いていく……。
天界で目覚めた少女は、記憶を失っていた。
そんな彼女の新しい日々は、ここから始まっていく。
そうして、後に『天界』と『闇界』の戦争に巻き込まれていく事になる。
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