第10話『眠り姫の目覚め』

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第10話『眠り姫の目覚め』

闇界に墜ちた天使、柘榴は王宮の広い渡り廊下を歩いていた。 外はいつも闇夜の中に満月が浮かんでいる。 不気味な風が木々を揺らす光景は手招きのように見えた。 木々達さえも、自分をまだ墜ちろと問い掛けるのか。 そんな馬鹿らしい考えに鼻で笑った。 柘榴は広い廊下を渡って、あるドアに向かった。 ドアをノックすると、女性の声が返事として返ってきた。 「お嬢様、御眠りのお時間ですよ」 柘榴は優しく笑いかけた。 そう、ここはネクロの部屋なのだ。 窓にはピンクのカーテンが垂れており、天井付きベッドには薄い桜色の布団が被せられている。 あたりには、きちんと並ばれたファンシーな人形達が置かれてある。 まさに女性の部屋だ。 「もう寝るわ。柘榴はどうするの?」 「僕はまだ明日の朝食の下拵えをしますから、お先に眠って下さい」 「コックがいるじゃない」 「ゾーク様は僕が作った朝食がお好きなんですよ」 ネクロはそう、と納得するとベッドに潜った。 柘榴はネクロの側に寄って、ベッドに半分腰掛けてネクロの髪を触った。 「柘榴も早く寝ないと体壊すわよ」 「僕はそんなにやわじゃありませんよ」 「だけどね、柘榴が側にいれば楽しい夢を見るの。これもあなたの力なのかしら」 ネクロは首を傾げるように傾けた。 柘榴はふっと笑って額に口付けを落とす。 「これで僕が居ない一時でも悪夢を見ないで済みますよ」 「…キザ天使」 「自覚しています♪」 そう言うと、小さく「おやすみなさい」と言ってネクロは目を閉じた。 柘榴はそれを確認すると、ドアを開き廊下に出る。 ふっと窓を見ると満月は薄い雲に隠れていた。 しかし満月の光は劣る事なく雲を透かして柘榴の足下を照らしている。 月を見ながら、ぼんやり考えていた。 そういえば、お嬢様に恋した時も、目覚めた時も、あの満月はあそこに居てこちらを見ていたな…と。 あれはもう、数千年も前の事。 天王ダーツの側近であった天使・柘榴が闇界に奪われた。 そして彼は闇界で目覚め、ゾークの配下となってから少し後の事。 ここは、闇界の王宮。 柘榴はゾークに連れられ、ある部屋へと案内された。 ドアだけを見れば、普通の部屋と変わりはない。 闇界に来てから日の浅い柘榴は、まだ王宮内の全ての部屋を把握してはいなかった。 しかし、ゾーク自らがここに連れて来たくらいだ。 この部屋には、何か重要な秘密でもあるのかもしれない。 そんな事を思いながら、柘榴はドアを開けたゾークに続いて部屋に入る。 内装の高級感から見て、身分の高い者……王族の部屋だろうとは推測出来た。 その広い部屋には天井付きのベッドがあり、それにはカーテンが下ろされていて中は見えない。 ゾークはベッドの側まで歩み寄ると、ベッドのカーテンを扉のように左右に開けた。 その中に見えたのは、大きなベッドの上で眠る、一人の女性。 柘榴はその女性の寝顔を見た瞬間、視界が反転するような大きな衝撃を受けた。 『綺麗な女性(ひと)』だと、瞬時に思った。 長いピンク色の髪、秀麗な顔立ち。目を閉じていても、王族としての気高さが伺える。 そんな彼女が眠るベッドの周りには、いくつものぬいぐるみが置いてある。 特に目立つのが、うさぎのぬいぐるみだった。 それが気高く美しい彼女の姿に、さらに女性らしい可愛らしさをも加えている。 心奪われるように女性を見つめる柘榴の隣で、ゾークが静かに口を開いた。 「我が娘、ネクロフィーネだ」 cdd46cb4-3f24-424b-90ce-5fd344ad76a1 「……はい」 放心したようにネクロを見つめたまま、柘榴は心のないような返事をした。 ゾークもまたネクロを見つめながら、静かな口調で語り始める。 「娘は、ただ眠っている訳ではない。憎き天王の封印の力によって深い眠りに落ちたままなのだ」 穏やかな口調の中に、天王ダーツへの憎しみをこめてゾークは言う。 この時よりもさらに昔、天王ダーツはゾークを闇界ごと封印した。 ゾークや一部の配下は封印から目覚めたが、今も多くの者達が封印の眠りから覚めていない。 ネクロはゾークの娘というだけで、戦争に関しては被害者にすぎない。 「柘榴。お前に、この部屋に出入りする事を許可する。天王による封印の力は、天使であるお前の力と共鳴を起こし、娘の目覚めを速めるからな。これからは、娘の側に居てやれ」 「………承知しました」 それからの日々、柘榴は時間さえあればネクロの部屋に足を運んだ。 そしてベッドの側の椅子に腰掛け、彼女の寝顔を見つめていた。 そうしているうちに、柘榴は彼女に対して色々な思いを抱くようになってきた。 ………彼女の瞳は、どんな色をしているのだろう? その瞳に、僕の姿を映す日はいつなのだろうか。 ………彼女は、どんな声をしているのだろう? その唇が開かれるのはいつの日なのだろうか。 「ネクロ……お嬢様」 柘榴は、返事の返ってくる事のない眠り姫に向かって、小さく囁いた。 その時、柘榴は自覚した。 顔を伏せ、前髪を片手でかきあげた。 「僕は…………愚かだ」 あらゆる面で『完璧』な自分には、弱点など存在しないと思った。 それなのに、話もした事のない彼女に、いつの間にか惹かれていた。 あなたの瞳の色も声も知らない僕が、僕とは面識のないあなたに。 「あなたが、こんなにも愛しい…なんて」 柘榴は椅子から身を乗り出し、手を伸ばした。 ネクロの、ピンク色のウエーブのかかった長い髪にそっと触れた。 「お嬢様………目覚めて下さい」 その瞳で、僕を捕らえて欲しい。 柘榴は、ネクロの寝顔にそっと顔を近付けた。 このまま、この唇に口付けてしまいたい衝動が生まれる。 その時だった。 今まで閉じたままだったネクロの瞼が、ゆっくりと開かれていく。 08a53e75-7be2-4c61-bf4a-15f5a7dfda1a それは何の前触れもなく訪れた、彼女の目覚め。 柘榴は瞳を開き、光を灯していくネクロの瞳を見つめていた。 期待に似たような、そんな感情を抱きながら。 ネクロは少し顔を横に向け、柘榴の方に瞳を動かした。 目覚めたネクロを見て、柘榴は改めて思った。 やはり、美しい人だ………と。 ネクロは眠そうにあくびをした後、その唇を小さく開いた。 「長い間眠ってた気がするわ。………あなた、誰?」 寝起きの眠たそうな眼をしながら、ゆっくりと問いかけた。 「初めまして、ネクロお嬢様。僕は柘榴と申します」 ネクロはゆっくりと上半身を起こし、じっと柘榴の顔を見返した。 ようやく、その瞳に自分を映してくれた事が嬉しくて、柘榴の心臓は高鳴っていく。 「見ない顔ね?ちょっとカッコイイじゃない。お父様が新たに創りだした配下かしら?」 ゾークには石から命を生み出す力があり、大理と黒曜の双子のように自らの手で配下を創る事が出来る。 ネクロは、柘榴もそうやって生み出された配下の一人だと思ったのだ。 「いえ、僕は天使ですよ」 「てん……し…?」 その言葉を聞いた時、柘榴を見るネクロの表情が一変した。 「嘘よ、天使が闇界にいるはずないわ!」 「本当ですよ」 そう言うと柘榴は、羽根を出して見せた。 天使は誰もがその背に羽根を持っていて、自由に出現させたり、隠したり出来る。 すると、それを見たネクロは突然、柘榴から離れるようにして身を引いた。 「本当に天使…!なんで、天使がここにいるのよっ!?」 何かに戸惑うネクロ。柘榴もまた、そんなネクロに戸惑った。 「ネクロお嬢様?」 「…………いやっ!!近寄らないで!!天使は嫌い……!!」 柘榴は訳も分からず、突然の拒絶に戸惑い、ショックに近い衝撃を心に受けた。 「天使は嫌いよっ!!」  ずっとネクロが目覚める時を心待ちにしていたというのに。 ようやく、ネクロがそのピンク色の瞳に柘榴の姿を映す事が出来た、その日。 ネクロは、柘榴を拒絶した。 ネクロは玉座の前に立ち、父親である闇界の王・ゾークと久しぶりに顔を合わせた。 「ネクロよ。長き眠りから目覚めた事、嬉しく思うぞ」 玉座に座るゾークは喜びの言葉をかけたが、ネクロはむしろ、不機嫌極まりない顔をして立っていた。 ネクロの口から出たのは、目覚めの喜びよりも先に不満の言葉だった。 「お父様、なんで天使なんかを私の側に置いたの!?」 怒りの為に感情的になり、玉座の前でありながら素の口調になってしまっている。 「天使なんか、いつ裏切るか分からないわ!」 ゾークはネクロを冷静に見ていたが、その剣幕には少し驚いた。 「……柘榴か。心配ない、信用してやれ」 少なくとも、一度殺されてゾークに再生させられた天使は、決して裏切る事はない。 「柘榴は、お前にとっても忠実な側近となるだろう」 どうやら、ゾークは柘榴をネクロの側近、『執事』として側に置くつもりらしい。 納得のいかないネクロは、増々、勢いを増していく。 「お父様は甘過ぎるのよ!だって、天使は……!!」 そこまで言いかけて、ネクロは口を閉ざした。抑えられない感情を押し殺すように。 少しの沈黙の後、ゾークは再び静かな口調で言った。 「柘榴はこれからも、お前の側に置く。良いな」 「……………。」 有無を言わせないゾークの命令に、ネクロは黙ったままだった。 こうして、柘榴が正式にネクロの専属『執事』に任命された。 しかしその後、ネクロは部屋に閉じこもりがちになった。 柘榴はネクロの部屋の前に立ち、ドアを数回ノックした。 「お嬢様、食事をお持ちしました」 しかし、中からは何の反応もない。 仕方なく、ネクロの許可なしにドアを開けて中に入る。 柘榴は、ネクロの許可がなくとも、この部屋に入っていいとゾークからの許可を得ていた。 ドアを開け、礼儀正しく一礼してから、柘榴は部屋に足を踏み入れた。 ネクロはベッドに顔を伏せ、柘榴の方を向きもせずに、ただ一言。 「いらない。あんたの作ったものなんか、食べたくない」 ネクロはずっと、柘榴の事を拒絶し続けている。 柘榴は少し、眼を伏せた。 「しかし…、お目覚めになってからずっとこの調子では、お体に毒です」 柘榴は、純粋にネクロの体を気遣っていた。 「あんたの世話になるくらいなら、封印されていた方がマシよ」 そんな柘榴の気遣いも受け止めず、ネクロは冷たく返していた。 「……では、食事はここに置いておきますので、気が向かれましたらお召し上がり下さい」 そう言って柘榴は、静かに退室した。 再び、部屋に一人きりになったネクロは顔を上げた。 柘榴が置いていった食事の方に顔を向けた。 ………いい匂いがする。 柘榴は料理の腕も一級だし、細かい所まで気が利くし、紳士だ。 執事としては理想的で、申し分ないのはネクロも心では認める。 だが、『天使だから』という、ただ1つの理由だけでネクロは柘榴を拒んでいた。 ネクロは、食事の隣に添えるように置いてある物に気が付いた。 うさぎのぬいぐるみだった。 ぬいぐるみ大好きなネクロは、思わず反射的にそのぬいぐるみを手に取った。 「…………可愛い!」 そして、ギュっとぬいぐるみを抱きしめた。 次の瞬間、ハっと我にかえったネクロは、それを抱きしめたまま顔を赤くした。 「…………なによ、あいつ。キザな事するじゃない」 しかし、何故ネクロがぬいぐるみ好きだという事を柘榴は知っていたのだろうか。 ネクロは、思い返してみた。 封印から目覚めた時、柘榴は誰よりもすぐ近くにいた。 もしかして彼は、自分が目覚める時までずっと側に居たのだろうか? 「………………まさか……ね」 赤く染まった顔を隠すように、ネクロはぬいぐるみに顔をうずめた。 そして、ようやく初めて、柘榴の作った食事に手をつけた。 「すごい…………美味しい」 そうしているうちに、ネクロは自分の中にある怒りや憎しみを忘れていった。 それから数時間、ネクロは部屋で一人、色々と考えた。 天使は憎いが、柘榴を憎む理由は、何もない。 少し冷静になったネクロは立ち上がると、窓に向かって歩いた。 大きく窓を開けると、何を見る訳でもなく、外の景色を見つめた。 闇界には、朝も昼もない。常に夜で、空からの月明かりが周囲の景色を照らしている。 闇界で育ったネクロには、そんな環境も景色も馴染みのある、当たり前の風景だった。 ふと、ネクロはある物に気付いて、身を乗り出した。 目の前には、見慣れない木の枝が伸びていた。 ここは、城の上部に位置する高さにある部屋。 今までは、この位置にまで枝が伸びる程の高い木は存在しなかったはず。 それに気付いたネクロは、あまりにも長い時間、自分が眠り続けていた事を実感した。 その木には赤い実がなっていて、ネクロは思わず手を伸ばした。 もう少しで届きそうなのに、取れない。そのじれったさで、余計に力を入れて手を伸ばす。 その時、突然、ネクロの視界がグルっと回転した。 平衡感覚を失ったネクロの体は、身を乗り出した体勢から崩れ落ちていった。 声を出す間もなかった。 落ちる…………。ただ、瞬時にそれだけを思ったが、どうする事も出来ない。 封印から目覚めてから意地を張って食事を摂らずにいた為、やはり体にも悪影響があったのだ。 その時、柘榴が再びネクロの部屋のドアをノックした。 「お嬢様、お皿を下げに参りました」 相変わらず、何の返事のない事に落胆したように息を吐くと、柘榴はドアを開けた。 だが、その時に柘榴の視界に映ったのは。 窓に身を乗り出したネクロがバランスを失い、落下していく瞬間だった。 「お嬢様ッ!!」 柘榴は叫ぶと、全力で駆け出した。 窓の所まで行くと、自分もまた窓から飛び降りた。 柘榴は羽根を広げ、ネクロよりも速いスピードで降下すると、空中でネクロの身体を抱きとめた。 落下していく感覚から一転、フワっとした浮遊感に包まれ、ネクロは目を開けた。 自分を両腕で抱きとめている、柘榴の姿が映った。 その背中には、大きな純白の翼。 9f8a29ab-4f6e-4d4c-943f-b344df77e1c5 柘榴は、穏やかで優しく腕の中のネクロに問いかけた。 「お怪我はありませんか?」 ネクロは小さく頷くと、瞳を大きく開いた。 柘榴のその姿が、表情が………とても美しいと思った。 柘榴はネクロを抱いたまま舞い上がると、再びネクロの部屋の窓まで上昇した。 窓から部屋に入ると、ネクロをベッドの上に座らせようとした。 しかし、ネクロはよほど怖い思いをしたのか、柘榴に抱きついて離れようとしない。 なので、柘榴はネクロを抱いたまま、自分がベッドに腰掛けた。 ネクロは柘榴の肩に額をつけ、小さく口を開いた。 「私のお母様は、天使なの」 唐突に打ち明けられて、柘榴はキョトンとした。 ネクロの母という事は、ゾークの妻。王妃の事である。 「それなのに何故、天使を憎んでおられるのですか?」 柘榴が問いかけると、ネクロは言葉を途切らせたが、ようやく言葉を続けた。 「天使だけじゃない。天界の者は全て嫌いよ。お母様を殺したんだもの」 それは、柘榴にとっても衝撃の真実だった。 まだ、天界と闇界との間に戦争が無かった時代に、天使が天使を殺すような事があったとは。 ネクロは顔を上げた。 辛い事を口にしているはずなのに、ネクロは微笑んでいた。 「私には羽根はないし、いらないと思ってたけど………初めて、羨ましいと思ったわ」 ネクロは片手を伸ばし、柘榴の羽根に手で触れた。 この、綺麗な翼が………自由に空を舞う事の出来る翼が、羨ましいと思った。 柘榴は、ネクロを抱く腕に力をこめた。 強く、気高く見えて、本当は弱く、儚い女性。 そんなネクロが愛しくて、側にいたくて、守りたくて。 「天使である僕には、母はいません。今の僕にいるのは、主であるゾーク様だけです」 「そうだったわね」 ネクロは悲しそうに瞳を潤ませ、再び顔を伏せた。 そんな彼女を元気づけるように、柘榴は明るい口調で付け足した。 「今は、お嬢様もいますしね」 ネクロは、ようやくクスッと笑った。 「笑ったお顔の方が素敵ですよ、お嬢様」 そんな事を恥ずかし気もなく言う柘榴に、ネクロは増々おかしくなって笑った。 「あなた、面白い人ね」 「もっと面白い事、出来ますよ」 「なに?」 「変身出来ます。僕の特殊能力ですよ」 「本当!?」 ネクロは、目を輝かせて身を乗り出した。 柘榴の変わった特殊能力に興味を持ったようだ。 柘榴には変身能力があり、10歳の子供にもなれるし、他人や動物など、様々に姿を変える事が出来る。 「じゃあ、ぬいぐるみになってみせて!!こーんなに大きいうさぎがいいわ!!」 「ぬいぐるみは、ちょっと……。でも、うさぎになら、なれます」 そう言うと柘榴は、ネクロの目の前で、普通のサイズのうさぎに姿を変えた。 「すごい、可愛い!!」 ネクロは大はしゃぎで、うさぎになった柘榴を抱き上げた。 「あなたの能力、すごいわね!ねえ、他に何になれるの!?」 「何なりとお申し付け下さい。あなたの望むものに姿を変えましょう」 そうして、柘榴は様々に姿を変え、ネクロを楽しませた。 ネクロは、不思議だった。 まるで柘榴は、自分がどうやったら笑うのかを知っているかのように、楽しませてくれる。 この人と一緒にいると、楽しい。いつしか、そう思い始めた。 笑い過ぎて、楽しくて。時間も忘れる程に。 「笑ったら、お腹空いちゃった。何か食べたいわ、作って持ってきて」 「はい。かしこまりました」 柘榴は丁寧に一礼をすると、先程の食器を片付け、手に持って部屋を出た。 綺麗に食べ終えてあった食器を見ながら、柘榴は満たされていく心を実感し、微笑んだ。 今になって、微かに頬を染めて。 そうして、時は現在に至る。 ネクロは、口には出せないが、今なら解った事がある。 『何故、お父様が天使に恋をしたのか』 そして、ゾークが柘榴をネクロの側に置いた本当の理由。 それは、天使を憎み、嫌うネクロに、ある事に気付いて欲しかった為だ。 かつて、ゾークは自身も天使の女性に恋をした。 天使という存在が自分にどれだけの光を与え、大切な存在となったか。 それは、父が言葉では語らずに娘に伝えたかったメッセージでもある。 ネクロが目覚めて、幾度ときた紅い月が差しかかった。 闇界に朝は来ない。太陽の代わりに紅い月が満月と交替するのだ。 昔を振り返っていると紅い月が上ったので、あぁ、もう朝かと柘榴は呟いた。 結局一睡もしていないが別に気にはしない。 またあの広い廊下を渡って彼女の元に行く。 柘榴のくせで、朝の渡り廊下は少し乱暴に歩き心を急がせる。 ドアを開くとネクロはもう起きていた。 「…おはようございます。お早いですね」 「わかるわ。あなたの足音が聞こえたもの。急がなくてもいいのに」 柘榴はネクロの側に歩み寄ってイスに腰掛けた。 ネクロの手を取り溜め息をつく。 「今日はあなたが目覚める日を振り返っていて紅い月が上ってしまいました」 「一睡もしてないの?大丈夫?」 ネクロは柘榴の顔を覗きこむと、不安げな赤い瞳が見えた。 「…あれから僕はあなたが眠りにつくのが怖い。それからあなたが目を開かなかったら…と嫌な未来が頭をよぎるんです。だから朝はいつも足が急いでしまう」 柘榴の弱音を聞いたのは初めてだったネクロは少し驚いたが、微笑んで頭をなでた。 「馬鹿ね。私はもうお寝坊しないわよ。あなたと居る時間を睡眠で削られたくないもの」 だから心配しないで、と足して柘榴の胸に寄り添った。 d340b1b0-1754-43bf-b20b-5eca7b1b391e 柘榴は満たされていく心に喜びを感じながら、ネクロの腰あたりで自分の指を交差させて捕らえた。 愛しくて、愛しくて…完璧な自分に出来た唯一の弱点。それが妙に嬉しくて… 「…あ、下拵えしたの?」 突然ネクロが思い出したように問い掛けた。 それまで幸せに浸っていた柘榴は一気に覚醒した。 「…っ…忘れてました…!すみませんお嬢様!先に行きます!」 ダッシュでドアに向かい廊下を出る。 後ろでのお嬢様の笑い声に耳まで赤くなってしまった。 厨房へ向かう時、また紅い月を見つめた。 先ほど見た時よりも輝いて見えて、月の光は柘榴の足下を今も照らし続けている。
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