114人が本棚に入れています
本棚に追加
第12話『焼け堕ちた翼』
ここは、天界。
王宮を抜けて、林を抜けて、森の奥深くにある広い高原に紅瑪は向かった。
息を切らして、木の傍で寝転んでいる目標の人物へと向かって歩いていく。
「はぁ…はぁ…ひ…翡翠!!!」
紅瑪は、草むらに寝転ぶ翡翠の前で仁王立ちした。
「…そんなに急いで、どうしたんだよ」
気だるそうに翡翠は身体を起こす。
「だって…天王様の話を聞いたら、すぐにどこか行っちゃうから…」
そう言うと、翡翠の隣に紅瑪は座った。
「…翡翠は何かあった時は、此処に来るよね」
「あぁ、ここが一番落ち着くからな」
そよそよと風が吹くこの高原は翡翠のお気に入りであり、紅瑪も翡翠と出会った大切な場所だ。
女嫌いの翡翠だが、紅瑪は平気なのだ。
当時、まだ幼いアサシンとクローン天使は、この高原で出会った。
この時から女性が苦手だった翡翠だが、紅瑪を初めて見た時、可愛いと素直に思った。
いわゆる、初恋の一目惚れである。
その感情は、未だ枯れる事なく翡翠は紅瑪の傍にいる。
隣にいる翡翠を、紅瑪はちらりと見た。
「…やっぱり、気にしてる?お兄さんの事…」
「あぁ…気にかかる」
「そ、そうだよね。気にかからないほうがおかしいよね!…ごめん」
翡翠はシュンとする紅瑪を、不謹慎ながら可愛いと思う。
身内など、ましてや兄がいるなど考えた事もなかった。
でも時々思うのだった。
琥珀や瑠璃のような兄弟を見て、羨ましい気持ちが無かった訳じゃない。
相談相手になったり、励ましてくれたり…時には下らない事で盛り上がったり…。
そんな兄弟を幼い頃から欲しがったが、ずっと内心に留めていた。
仲間と呼べる彼らに不満はない。
もちろん、隣にいる紅瑪を誰よりも大切に思っている事に変わりはない。
友情とも、愛情とも違う。
兄弟愛を翡翠は感じた事が無い。
「…紅瑪にとって、兄貴って何だ?」
ふいな質問に紅瑪は、う〜んと人差し指を口元に当てて考えた。
「私にとって兄さんは、お父さんにも近いかな。翡翠は天王様だと思うけど。頼りになって、すごく温かい手をしてる人、かな」
「…そうか…なぁ、紅瑪」
ん?と紅瑪は翡翠の方を向くと、翡翠の大きな身体に紅瑪は包まれた。
「…俺も、まだ見た事も話した事もない兄貴と、兄弟って思えるかな?」
ぎゅっと紅瑪の肩を握り締めている手が強張っている。
あぁ…不安なんだなと紅瑪は気付く。
「…大丈夫だよ。翡翠がその人をお兄さんだって見ていれば、きっとあっちも翡翠と打ち解けようと勇気を出すから…」
「…俺、兄貴に会いたい」
「…うん」
「…たった一人の兄貴だから…」
「…うん。…うん」
ふいに翡翠の緑色の瞳と、紅瑪の瞳が出会った。
綺麗な深緑…。
鮮やかで妖艶な紅の瞳…。
それはごく自然に、まぶたに閉ざされて隠れてしまったが、お互いの唇は触れ合うように重なり合った。
木漏れ日が差し掛かる穏やかな時間の中に、溶けこむように…。
それと同時刻…紫水と白銀は、その森を歩いていた。
涼しげな表情の紫水に対して白銀は汗ばんでいる。
「あーつーいーーーーー!!」
「…そうか?気温は20度ほどだが…」
「氷の能力者である僕は最高でも15度が限界なんだよ。何?ここ蒸し風呂!?熱すぎるよ!!」
「自然系の能力者も大変だな。しかし、こんな森に湖か泉がある訳でも…」
「あった!!目の前に泉発見!!」
「…都合のいい展開だ」
白銀は、目の前のキラキラした泉に走っていった。
「ここで水浴びしたら城にすぐ帰るからさ!!」
「…分かった。俺はここで待っておく」
紫水は泉の前にある木に寄りかかった。
平然と白銀を見ている。
「…どうした?入らないのか?」
白銀は一瞬、困惑した。
「…ちょ…どっか行って!!!」
「…何故だ?」
「何でもいいだろ!!とにかく出てけ!」
ビシっと森の奥を指差した。
紫水はすたすたと森の奥に入った。
「…30分後にまた来る」
そう言い残すと、紫水は森の奥へと姿を消した。
白銀は、ほっとして服を脱ぎ始めた。
翡翠と紅瑪は、寄り添ってお互いの心臓の音に耳を澄ませていたが、紅瑪が不意に目を開けた。
「…そうだった。兄さんから薬草を頼まれてたんだ!行かなきゃ!」
「俺も手伝おうか?」
「ううん。大丈夫だよ!翡翠は休んでて」
「分かった。気をつけろよ」
そう言って紅瑪を見送ると、翡翠はまたゴロンと横になった。
翡翠と別れた紅瑪は、森を歩いて薬草を探した。
「う〜ん。これじゃないし…これでも…」
ぶつぶつ言いながら草を用心深く探していると突然、足場がぐらついた。
「え…きゃぁ!?」
紅瑪は、足場が崩れて大きな溝のような穴に落ちてしまった。
どすん!と尻餅をついたので、いたたた…と、腰などをさする。
どうやら足を軽く捻ったようだ。
自力で登れそうにない。
「誰かー!居ませんかー!?助けてください!!」
紅瑪が叫ぶと、足音が聞こえる。
こちらに近づいているようだ。
紅瑪は、とっさに翡翠だと思った。
「翡翠?翡翠でしょう?助けて翡翠!足を挫いて動けないの!」
「……翡翠?」
紅瑪は、その低い声に聞き覚えがない。
すると誰かが穴の中に入ってきた。
翡翠よりも長身で、紫の長い髪の人。
「あ…ごめんなさい。私てっきり翡翠かと…」
「…翡翠を知っているのか?」
「え、ええ」
「……足を挫いたのだろう?見せてみろ」
紫水は、引きずる紅瑪の足を引っ張った。
紅瑪は小さく、痛い…と呟いた。
「…少し腫れているな。このくらいなら骨に異常はない」
「お医者様ですか?」
「違う。だが、こんな応急処置は医者よりも上手いがな」
紫水は自分の服の端を破くと、テキパキと紅瑪の足に巻きつけ、キュッと結んだ。
「ありがとうございます。あなたのお名前は?私、紅瑪です」
「…名前を言うほどの事でもない。乗れ」
紅瑪を乗せて、紫水は軽くジャンプして着地した。
高さは3mくらいあったと思う。
無表情で紫水は口を開いた。
「…歩けるか?」
「…ちょっと…無理みたいです。もしよろしければ高原に行ってもらえませんか?この森の奥にあるんです。そこに翡翠がいるから…」
「…翡翠は…お前の恋人か?」
「え…あ…た、大切な人です…」
そう言いながらも、紅瑪の顔は真っ赤だ。
「…そうか…あいつは幸せなんだな…」
「…え?」
「なんでもない。ならばその高原まで連れて行こう」
「はい。ありがとうございます!」
紫水は敵でありながら紅瑪を助けた。
その本意は解らないが、紫水に殺意はないようだ。
その少し前、翡翠はやはり紅瑪が心配で森を歩いていた。
「…紅瑪、どこまで探しに行ったんだ?」
はぁ、とため息をつくと、後ろから僅かな気配を感じた。
羽を広げて空に舞い上がり、大きな氷の塊を避けた。
「…やるね。僕の氷を避けるなんて」
「誰だ!てめぇ!!闇界の奴か!?」
「ご名答。いい手土産が出来そうだね!!」
白銀の手に魔力が集まり、瞬時に氷の飛礫が翡翠に向かっていく。
翡翠は柄の先端が鎖で繋がっている黒い二刀の剣『二狼刀』を構えて白銀に向かう。
驚異的なスピードで白銀の間合いに入った。
白銀はとっさに右によけたが、翡翠の刀が白銀の服をかすった。
ザン!!!ビリィィィ!!!!
黒いスーツの胸元が布切れになって空に漂った。
白銀の左下から右上にかけて斜めに切り裂かれた胸元のシャツから、真っ白い肌と翡翠が苦手な身体が見えた。
そう、まぎれもなく豊満な胸だった。
翡翠は一瞬フリーズしたが、身体の先から終わりにかけて出てくるジンマシンで一気にめが覚める。
「なんだよ。人の身体じろじろ見て」
「おま…お…お…女ぁぁぁぁぁぁああ!!!??」
パクパクと口を開ける翡翠の顔は、赤ではなく青に近い。
その叫び声に、紫水は紅瑪を背に背負ったまま、その方向へ走った。
「白銀!!!」
「あ!!翡翠!!」
紫水の声に気付いて白銀が振り向いた。
翡翠も紅瑪を目の中に映した。
紫水は紅瑪を降ろすと、白銀の前に立って白銀を抱えた。
「うわぁ!!?なにすんのさ!紫水!」
「帰るぞ」
「まだ天使を殺して…」
「黙れ」
そのドスの効いた声に、さすがの白銀も大人しくなった。
紫水は天使の羽を広げて、空に舞い上がろうとした。
「…天使!?何故闇界の奴と…それに…紫水…だと?」
翡翠は、はっと気付く。
「…兄貴…兄貴なのか…?」
翡翠は紫水の後ろに迫った。
「…答えろよ!!あんたは、まだ赤ん坊の時に闇界に奪われた天使で…俺の兄貴なのか!?」
紫水は唇を動かしたが、言葉が喉から出ない。
今更、どんな顔して振り向けばいい?
もう敵同士で、いつかは殺しあう日がくるのに、兄弟と名乗っていいのか…
やっと紫水が重い口を開いた。
「…俺は、幼い頃に闇界の柘榴という執事に連れ去られた…」
「連れ去られたって…兄貴の意思じゃないだろ!?」
「…その時は俺の意思ではなくとも、今の俺はゾーク様への忠誠心だけだ」
「でも…その羽がある限り、あんたは天使だ」
「…これもゾーク様に再生して頂いたものだ。…当時の俺の羽根はまだ未熟な為、闇界の気にやられて焼け落ちた…。火傷の跡となって今も存在しているが何の意味もない」
「…あんたは俺の兄貴だ。何があっても…どうなっていても…」
「…それでも、闇界にいるのは俺の意思だ」
そう言って空に舞い上がった。
翡翠は、ずっと紫水を見ていたが、紫水は一度も振り返らなかった。
紫水は闇界の王宮に帰って、自室のベッドに白銀を放り込んだ。
なんとも殺風景で、カーテンとクローゼットとベッドと簡単な椅子と机しかない。
「痛いなぁ!!何するんだよ!!」
「傷見せろ。少し血が滲んでる」
紫水は白銀の腕を掴んで、隠していた胸元を見た。
「見るな!!この変態!!!」
「五月蝿い。消毒してやるから、黙っておけ」
紫水が白銀に跨って組み敷いた。
「紫水、なんか口調が荒いし『俺』になってるよ!?」
「俺は感情が高ぶったりすると少し乱暴な言葉が出るんだ。気にするな」
「気になるって!」
ギャーギャー喚く白銀は、紫水の手をすり抜けてシーツを頭から被った。
紫水はため息をついた。
「何をしているんだ。治療が出来な…」
「…いつから気付いたんだよ。僕が女だって…」
その言葉は真剣で、紫水も一瞬黙った。
「…何故男装している?」
「女のままだと敵になめられるだろう?それに、スカート嫌いなんだよ。…似合わないし」
紫水はベッドに腰掛けて、ポンポンと白銀の身体を撫でた。
「…初めてお前を見た時、すぐに分かった。女だって。だが、あまりにも男口調が面白くて…」
「なっ…面白いとはなん…」
ガバァっと紫水の方を勢いよく向いた白銀の首を、紫水の手が捕らえた。
そのまま後ろから引き合わせて唇が重なった。
「可愛いと思ったんだ」
そのまま触れるだけのキスから、深いものへと変化した。
息を切らして見上げる白銀の蒼い瞳は少し潤んでいて、まるで宝石のようだった。
「…僕が女だって…言うなよ。秘密なんだから」
「あぁ。ならばお前も俺の秘密を守れ。俺の過去を、な」
白銀は紫水の首に腕を回して耳元で囁いた。
「…ねぇ、僕に溺れてくれるのは…いつ?」
「……さぁ。秘密だ」
そうして、また二人の唇が重なり合った。
今日の出来事も、過去も、なにもかも…秘密のやりとりに変えながら…。
天界では、足を挫いた紅瑪を背負って戻ってきた翡翠を心配していた。
琥珀や瑠璃が、何かあったのか?と聞くが、返ってくるのは翡翠の生返事だけで。
紅瑪も、心配しないで、と明るく振舞っている。
今日、出会った彼らは、翡翠と紅瑪の中に閉じ込めてしまおうと決めたのだ。
翡翠と紅瑪にもまた、秘密が生まれた。
最初のコメントを投稿しよう!