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第13話『捕らわれぬ天使』
翡翠が兄と対面してから一月ほど時が過ぎた。
天界は季節がハッキリしている。
だが、四季ではない。
天界には春と秋しかないのだ。
しかし、春のある一ヶ月は真夏のように暑く、秋のある一ヶ月は真冬のように寒い月がある。
ようするに、夏は春の中にあり、冬は秋の中にあるのだ。
なんともおかしい季節だが、天使達はそれが当たり前なので何ともない。
むしろ、驚いた杏花に皆が驚いたくらいだ。
秋頃に目覚めた杏花は、初めて冬の月を迎えた。
部屋やクローゼットの中身も、寒い冬に対処した温かいものとなっている。
ベッドのシーツは毛布になって、掛け布団も重いものになっている。
「わぁ、これって羊毛なのかしら?」
「羽毛だよ」
ベッドで羽根を伸ばす杏花の横で、椅子に腰掛けて本を読んでいるダーツは淡々と言う。
「へぇ、羽毛なんて贅沢だわ。いいのかしら…」
「大丈夫さ。再利用だから」
「何の?」
「天使達の羽変わりの、ね」
杏花は布団を撫でながら考える。
天使達の羽変わりの再利用って事は、この羽毛って……。
「ええ!?これって琥珀さん達の羽なの!!?」
杏花がダーツの方を向くと、ダーツは本を掲げて顔を見せないようにした。
かすかに肩が震えてる。
「…ダーツさん…もしかして…」
「そんなわけないじゃないか。ちゃんと加工したよ」
「何それ!!?どっちなの!!?ねぇってば!!」
杏花もムキになってダーツの裾を引っ張り、こっちを見てよと迫っている。
「きっと彼らも大変だったんだよ。琥珀なんて……ハゲたしね」
「ええ!?本当なの?」
「…さぁ、どっちだと思うかい?」
「もう!もう!ダーツさん、からかわないでよ!」
ぷうっと頬を膨らませて目で訴える。
ダーツはそんな杏花に、ついに軽く笑ってしまった。
あまりにも可愛すぎて。
「……怒るよ。ダーツさん」
ダーツは本気で怒られたらいけないと思い、杏花を腕の中に収めてしまう。
「すまない…だが…フフ…ッ…可愛いと思ったんだよ…」
「…顔が笑ってますよ。ダーツさん」
えいえい、と軽いパンチをダーツの胸元に打った。
ダーツは顔は笑っているが、言葉は痛い、痛いを繰り返している。
腕力もないし、暴力が嫌いな杏花の精一杯の反抗だ。
「もう、今日はダーツさんと一緒に寝ません!!」
「寒くて死んでしまってもいいのかい?」
「ダーツさんは王様でしょ。そんな事では死にません」
「君が居ないと私は心が寒くて死んでしまうと言っているんだよ」
「え…?」
その言葉にダーツの顔を見上げると、ふいにキスをされた。
素早く、触れただけの軽いキス。
それでも杏花は、あっけにとられてしまい固まった。
「今日も私の身体も心も温めておくれ。杏花」
「……言い方がエロい…」
「気持ちは純粋だよ」
そのまま杏花はダーツの胸元の服を引っ張って目を閉じた。
かなわないと観念したのか、そのまま身体をダーツに預ける。
ダーツは何事もなかったように、また本を読み始めた。
それから、しばらくしてダーツは玉座に戻ったので、杏花も部屋を出て王宮内を散歩した。
王宮の訓練場に行ってみると、多くの天使達が武術や魔術の練習をしている。
今日は特別訓練という事で琥珀達も参加しているようだ。
剣術の部門に行けば、琥珀が訓練生の相手をしている。
「お前は脇が甘いねん。もうちっと頑張りや。次!!…て杏花様?どないしたんですか?」
琥珀は練習用の木刀を持って杏花の前に立った。
「ううん。ただ、見てみたいなって」
「そぉですか。でもあんまりぼへっとしてると天使が空から降ってきますよ」
ヒュウウウウ……ドスン!!
「…へ?」
そう杏花が言った時、杏花の近くに本当に天使の訓練生が落ちてきた。
「ええええ!!?」
「るーちゃん飛ばしすぎやで〜」
杏花は突然の出来事に頭が回らない。
琥珀が横を向くと、そこに何十人もの天使を担いだ瑠璃がやってきた。
「あかん、こいつら拳法の才能ないわ。剣術で相手したってや、兄者」
よいしょと瑠璃が降ろすと、訓練生の気絶した山が出来た。
「だ…大丈夫なの?」
心配げに杏花が言ったが、瑠璃はさわやかに答えた。
「大丈夫。みねうちです」
「それって…大丈夫なのかなぁ…?」
「大丈夫ですよ、杏花様。これでも先生は手加減してるんですよ」
「え?」
聞きなれない声がしたので杏花は後ろを振り返った。
そこには、ちょっと暗めの青の髪と瞳の少女がいた。
服は赤のネクタイに紺のミニエプロン。
まるでメイド服のようなものだ。
手にはホウキを持っている。
「初めまして、杏花様。『硫化』っていいます。瑠璃先生の弟子です」
「え?あ、初めまして。あなたも石から…?」
「ええ、こんな色のね」
そう言って髪を一房つまんだ。
「杏花様には紹介が遅れていましたね。俺の弟子です」
「そ、一番弟子です♪先生の下で魔術を磨いてます」
「拳法じゃなくて?」
「先生って意外と魔術も長けているんですよ」
「おい、意外って何や。意外って」
「聞こえたまんまやろ、るーちゃん」
「るーちゃん言うな!!!」
琥珀と瑠璃はいつもの漫才を繰り広げている。
いつもの穏やかな時間に杏花はほっとする。
ふいに瑠璃が硫化の前に向きなおした。
「でも、もう硫化は俺を先生呼ばなくてもええんやで」
瑠璃はポンと頭を撫でた。
「さっき言ったやろ?もう俺がお前に教える魔術はない。一人前や」
琥珀も首を突っ込んだ。
「なんや、免許皆伝ってやつか?よかったなぁ!硫化!魔法使い放題やで?」
「なわけあるかい!!」
「きゃっ!やった!」
「硫化!!免許剥奪するぞ!!」
「はーい!わかってます。じゃ、杏花様。またね」
そう言って硫化は、ホウキに乗ってどこかに行ってしまった。
「なんか、明るい子だね。硫化さんって」
「ええ、まだ少し心配ですが…。なんや、娘を送り出す父親の気分や」
「るーちゃん、独身やて」
せつない目をする瑠璃に琥珀がツッコんだ。
あぁ、逆も出来るんだと感心した杏花だった。
ホウキに乗って硫化は、天界のはずれにある湖に向かった。
そこは闇界に最も近い境界線にある湖だ。
だから、天使達はそこを遠ざけている。
硫化は湖のほとりで下りて、あたりを見回した。
「硫化」
その声に、硫化はパッと笑顔で声の聞こえたほうを振り返った。
黒い和装に薄い金色の髪はさらさらで腰まであるくらい長い。
瞳はうすい黄色だ。
にこやかな笑みで硫化を見ている。
「ファリス!!」
硫化はファリスに抱きついた。
「え?え?何?」
「私、今日で一人前になったの!先生から免許皆伝だって」
「本当?おめでとう。硫化なら、きっと一人前になれるって思ってたよ」
ファリスは硫化の頭を撫でた。
その心地よさに、思わず甘いため息をつきそうなくらい…。
「…今とっても幸せよ。幸せ続きで怖いくらい」
「僕も君とここで出会えて幸せだよ。こんなに愛おしいと思う女性は、これから何千年生きていても出会えないくらい…」
「大げさ…って言いたいけど、実は私も同じ事考えてたり…」
ちょっと照れた仕草にファリスは見とれた。
ファリスと硫化は数年前にこの湖で出会った。
お互いの立場も知らないまま、二人は恋に落ちた。
しかし、しばらくしてファリスの身分を知って愕然とする。
「…これで、あなたが闇界の王子じゃなくて天使だったらよかったのに…」
「…それでも僕は君と出会って恋するだろうね」
ファリスは闇界の王・ゾークの息子であり、闇界の王位継承権一位の王子なのだ。
敵側の王子と天使の恋。
これは異例に捉えられる。
ふいに寄り添っていた硫化を自分の正面へ向き合わせる。
硫化は、どうしたの?と呟いた。
「……ねぇ、硫化。僕と一緒に闇界に行かないかい?」
「ファリス?」
「僕と共に闇界で暮らそう。僕は真剣に君を愛しているから…」
「でも…天界にはたくさんの仲間がいるわ。それに…先生を裏切る事に…」
硫化は迷った。
いつまでも、こんな関係が気付かれないわけない。
このままファリスと別れるのは死んでも嫌だ。
でも…踏み込む勇気がでない。
「…ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ。今日の夜、またここで待ってるから…その時に答えをくれないか?」
優しく気遣うファリスに、硫化はありがとうと呟いて、ホウキに乗った。
ふいにファリスの手が硫化の手に触れた。
「…闇界に連れて帰るなら…君を石に変えなくちゃいけない。意味は…分かるよね?」
硫化はコクンと頷いた。
石に変わる事は、死を意味する。
「…それでも一緒に生きたいという僕の我が儘にどうか答えてほしい。愛してる…硫化」
「…うん」
そう言って硫化は王宮に帰っていった。
そしてその夜、王宮の広い廊下を誰かが小走りで走っている。
その影に気付かずに杏花が廊下の角を通ると、誰かと肩がぶつかった。
「きゃ!」
「ご、ごめんなさい。…って杏花様?」
「あれ?硫化ちゃん?どうしたの?こんな遅くに…」
よく見ると硫化は長いコートを着ている。
「出かけるの?こんな遅くに?」
「う、うん…」
朝に見た硫化とは大分違う。
なんだか、不安そうで今にも泣きそうだ。
なんだか様子がおかしいと思った杏花は硫化に尋ねた。
「どうかしたの?なんだか…硫化ちゃん変だよ?」
「あ…その…」
「私でよかったら相談にのるよ。大丈夫、誰にも言わないから」
そんな杏花の優しい心に、不安な顔をしていた硫化がコクンと頷いた。
硫化は杏花の手を引いて、人気のない中庭に行った。
「…私、闇界の王子と恋に落ちたの」
「…え?闇界って…敵国じゃない!」
「…最初は、そんなの想像もつかなかったの。だけれど、普通に彼と知り合って…好きになって…ただ、その相手が闇界の王子様だったって所が違うだけで、本当に愛してるの」
「…もしかして…今から…」
杏花が言い終わる前に硫化が口を開いた。
「私、闇界に行くわ」
その言葉に杏花は黙っていられなかった。
「だめよ!殺されるわ!」
「でも彼と離れたくないの!…杏花様なら解るでしょう?天王様の為ならなんでもしたいって…思わない?私は…彼の元へ行けるなら…殺されても構わない…」
「私たちの敵になっても構わないっていうの!?」
その言葉に硫化は心を痛めた。
流れる涙が頬を伝う。
「わかってる…。これは、重罪な事だって…。でも、彼を…ファリスを失ったら…私、生きていけない!」
硫化は杏花と手を取ってその手を自分の額にかざした。
「皆を裏切って…ごめんなさい…。杏花様の心を裏切って…ごめんなさい…。この罪は、生まれ変わってもずっと…背負っていくから…」
「硫化ちゃん…」
「でも、これだけは解って…私の意思で闇界に行くの。…彼を愛してるから…」
杏花は泣きながら硫化を抱き締めた。
「…幸せになって…」
その言葉しか出なかった。
それが、精一杯だったから…。
硫化はコートを羽織ってホウキを手にとった。
杏花は今まで、ただ一方的に闇界が天使を奪うものだと考えていた。
だけど硫化は違う。
自分の意思で、闇界の手に堕ちていく。
そんな彼女を止める権利など自分にも、誰にもないと思った。
杏花は涙をぬぐって硫化を見送る。
これが最後の姿になるかもしれないから…。
「待て!!!硫化!!」
その声に二人が振り向くと瑠璃が立っている。
「せん、せい…」
硫化の息が止まりそうになった。
「…馬鹿な事は止めろ!敵になるんやぞ!!」
瑠璃の顔を見て先程の決意した硫化の顔が迷いに変わる。
杏花はそれに気付いた。
「硫化!私たちの事はいいから…自分の道は自分で決めるのよ!」
「…杏花様!?一体なにを…」
「あなたの意思はあなただけのものよ!後悔しない道を私はあなたに歩んで欲しい!!」
その言葉に、硫化はまたあの決意を思い出して空に舞い上がった。
瑠璃は羽を広げて後を追おうとするが、杏花はそれを止めた。
「杏花様!!何故あのような事を…そこを退いて下さい!」
「瑠璃さん、硫化さんの意思を私は尊重したいの」
「意思…?硫化が…?俺はそんなの信じない!硫化が…」
「憎むなら…硫化さんを逃がした私を憎んでくれて構わない。裁くのなら…私を裁けばいいわ」
「杏花様。俺にはどっちも出来ません…。でも、行かせて下さい!!」
杏花の隙をついて瑠璃が空に舞い上がり硫化を追いかけた。
杏花は目を閉じて、ピクリともしない。
ただ、涙だけが酷く溢れ出した。
それから、瑠璃が王宮に帰ってきた。
手には、あの硫化が羽織っていたコートを持って…。
瑠璃の報告によれば、湖のほとりで細い光の柱が天に伸びた。
そこには人影はなく、このコートだけが発見されたという。
コートに付着していた血痕から、それが硫化の物であると判明した。
杏花はそれを聞いてまた涙を流した。
解っていたはずだ。
こうなる事を…。
瑠璃への謝罪の涙と、自分の無力さがまた涙となって零れ落ちる。
せめて、硫化が闇界に行って敵になっていても、愛した人と幸せになって欲しいと願うばかりだった。
その日、琥珀の傍らで瑠璃が声を殺して泣いているのを杏花は見かけた。
琥珀はそんな弟を気遣って背中を撫でていた。
瑠璃の手にはあのコートが握り締められていた。
その光景を見て杏花は心に刻んだ。
いつか…自分はこの罪を償わなければならないと。
そして、この手でこの争いを終わらせると…心に誓った。
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