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第8話『困惑』
朝の日差しは毎日のように降り注ぐ。
真白いカーテンの間から光が差し込み、杏花は目を覚ました。
瞳は天井の景色を映したが、すぐに辺りを見回した。
いるはずの温かい手の持ち主は、もう影さえなかった。
杏花はベッドから起きて身支度を整えた。
クローゼットには、お姫様が着るような煌びやかなドレスが幾つもかけてある。
だが、杏花は現代の高校生が着るような制服を手にとった。
スカートのホックを閉め、きゅっと赤いスカーフを胸の中心で巻いた。
ふと鏡に映る赤に目がいく。
その赤は、あの惨劇を思い出させるには充分な鮮やかさで…杏花は目を細めた。
「…しっかり…しなくちゃ…」
そう呟くと杏花は心の中で、今までの事と疑問を整理した。
私は、元人間で今は転生して普通の人間ではない…らしい。
私自身、記憶はない。(たぶん思い出す…かな?)
今、天界は闇界という世界と戦争をしている。
闇界の理由は分からないけど、目的は天使を奪ってダーツさんを苦しめる事。
ダーツさんの身近にいる特別な天使は、殺されたら原石である石になってしまう。
砂良さんは殺されて石を奪われた。
だけど、死んではいない。
きっとあちらの世界にいるはず。
闇界の王様は、その石を奪うため襲ってくる。
「…どうして…天界の天使だけを…?」
杏花はテーブルにあったチェス盤を見つめた。
「…まるでチェスみたいな戦争…」
奪って、奪われて…キングが獲られるまで続くこの戦いに、一体いつ終止符は打たれるのか…。
杏花はそっと黒いキングの前に白いキングを置いた。
「…チェックメイト」
いつか、この戦いに終わりがあると信じて…。
一方、天界の門には琥珀と瑠璃が立っていた。
二人は両極端に並んで天界を守っている。
いつもと変わらぬ景色、時間。
とても平和で、のどかな時はゆっくりと二人の間を潜り抜ける。
そんな中、琥珀が瑠璃へ唐突に質問を投げてきた。
「瑠璃はこの戦争をどう思っとるんや?」
「…いきなり、やな」
琥珀は、そのまま天を仰いだ。
瑠璃も目を合わせずに淡々と答える。
「襲ってくる理由は分からんが、襲われる理由もないと思う。むしろ仲間を一方的に奪われて、このままで済ませるつもりもない…。あっちがふっかけた戦争や。俺は守るべき者の為に最後まで戦う」
「…そんな単純なもんなんかなぁ…」
「…兄者…?」
琥珀から返ってきた返答に、瑠璃は動揺の色を瞳に宿した。
「俺らが知らないだけで、この戦争はもっと深いもんだと思うんや。確かに戦争を先にふっかけた闇界に非はあるけど…こっちにも何かしらの因果はあると思うねん…」
「…因果?」
琥珀は一枚の紙を瑠璃に渡した。
その紙を瑠璃は開いた。
「……なんや、これ。石から生み出された天使のリストやんけ…これがなんだって…」
そう言いかけた瑠璃の表情が変わった。
「筆頭にある名前が三つ消されとるやろ?その次が瑪瑙さんや俺たちや翡翠の名前があがっとる…」
「俺らの前に…三人居ったちゅう事か?」
「俺は瑪瑙さんが一番最初に作られた天使やと思とった…だけど、そのリストには瑪瑙さんと同期に生まれた天使がのっとんねん」
「なら、ここにあの柘榴って男が…!?だけど数が合わんとちゃう?」
琥珀は、瑠璃の手にした紙の一番上を指差した。
「うっすらと見えへんか?女性の名前らしき字が」
瑠璃は改めて目をこらした。
「かすれて読めんなぁ…」
「俺の推測やけど、この三人はこの戦争に深く関わってると思うんや」
瑠璃は琥珀を見返した。
「瑠璃、戦争ってのは、どちらが悪いとか無いんやで。一方的な決め付けは時に真実の隠れ蓑になってしまうんや…」
瑠璃は柘榴の言葉を思い出した。
俺たちはあの男の『代わり』
自分達の生まれる前に何かが王宮で…いや、この世界で起きていた。
俺たちはこの戦争の中にいながら、何故この戦争が起きたのかを知らない。
「…兄者。俺…知りたいねん…!!真実を…」
「…なら行くで。天王様に直接、真実を聞きにな!」
二人の瞳から迷いが消え、ただ前だけを一心に見つめた。
知らなくてはいけない真実があるのだと気付いて…。
王宮内の玉座にはダーツと杏花がいた。
「気分は大丈夫なのか?」
「うん。もう落ち込んでいられないから…ダーツさん」
杏花はダーツの傍に寄って正面に立った。
「私なりに…考えたよ。今のこの状況を。でも分からない事だらけなの」
ダーツは静かに杏花の話を聞いた。
だが、杏花に添えた手をダーツは握り締めるように捕らえている。
その力に杏花は言葉を変えた。
「…でもね、どんな状況にいたってダーツさんの傍から離れはしないから…私、あなたを守りたいんだと思う」
「…私もだよ。君さえいてくれれば、どんなものでも越えて行ける。だから、誓わせておくれ…この手を握り守るのは生涯唯一人、私である事を…」
そのままダーツは杏花の手の甲に口付けを落とした。
「…そろそろ話さなければならない時が来たようだ…」
「…話す?」
「戦争の始まりに失った天使の事を彼らに話さなければならない。…琥珀と瑠璃の瞳が揺らぐ前に…」
ダーツは扉のほうに目を向けると琥珀と瑠璃が現れた。
少し呼吸が乱れている。
「天王様…教えてください…。なにが起こったのか…」
「俺らは知る権利はあると思います」
ダーツは重い口を開いた。
澄んだ泉と同じ瞳が、微かに揺れる。
「…すべての天使をここへ…過去の忌まわしい惨事を話そう」
これからダーツが話す惨事…それは哀しい戦争の幕開けだった。
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