第1章

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前菜の皿が片付けられてメインデッシュが運ばれてきた。 ぼくは子羊肉のトマト煮、彼女はタラのアクアパッツァだった。美味しそう、と彼女が喜ぶのを見て、ぼくも笑顔を返した。 ウェイターがまずぼくの前に皿を置き、それから次いで彼女のところに皿をおいた時、彼女の視線が一瞬一点に凝視するのがわかった。 大きな白い皿がわずかに欠けているのが分かったからだ。 ぼくは迷うことなくウェイターに言って皿を変えてもらった。たしかにそのときぼくは彼に対して腹を立てていたかもしれない。 ウェイターは横柄でプライドが高く、始めはがんとして皿を交換しようとしなかったからだ。 「アクアパッツァに問題がありますか?」といかにも高慢な口調でぼくにいいえしたのでこちらもむきになり、「問題あるか、だと?よく給仕しているときに気が付かなかったものだな。いいから下げて交換してこい」と怒鳴った。 ウェイターは気色ばんだ表情を浮かべたが、言い返すことなく黙って皿をさげ、ぼくと愛梨はしばらく黙っていた。 その間にも気の毒なぼくのトマト煮はテーブルの上で冷めていき、ぼくと愛梨の間にも気まずい沈黙が流れた。 「わたしは別によかったのに。少しくらいお皿がかけてても料理には関係がないわ」と愛梨が沈黙を遮って言った。 「ダメだよ。レストランが提供するのは料理だけじゃない。うまい料理だけが目的ならここを選ばなかった」 その後ウェイターが無愛想に皿を運んできた。 ぼくと愛梨はしばらく無言でのまま、お互いの皿の上の料理に取り掛かった。味はろくに覚えていない。 食器の立てる音だけがやけに大きく響いた。それから、愛梨はぽつりと言った。 「わたしはときどきあなたが怖い」 「どうして?」ぼくはナプキンで口元を拭いながら言った。その日はぼくの誕生日で、つきあって3年の記念日だった。「俺は最高の記念日にしたいだけだよ。いつか俺達が年を取ってお互いよぼよぼになっても、手を取り合って夕日を見ながら今日のことを何度でも思い出すことができる、そういう記念日にしたいんだ」 ぼくがそう言ったあと、彼女はしばらく皿の上の料理を眺めていた。ぼくの言った言葉がそのまま料理に染み込んで消えてしまったのかと思うほどだった。
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