第1章

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そのときに起こったことの意味は当時のぼくにはわからなかったが、それが何か重大な事実を含んでいることは子供ながらにうっすらと理解することができた。 給仕はぼくたち三人の顔を眺め、それから何かに気がついた表情を浮かべた。彼の足は止まり、なかなか奥へ案内しようとはしなかった。ぼくはなにが起こったのかわからず、不安になって父の方を見上げた。どうして早く案内してくれないのか?と抗議するような視線を父に向けた。 おそらく給仕は何かしらの合図を父に送っていたのだろうと思う。でも、父はその合図を無視したので、仕方なく給仕は彼女のほうに近づき、「お連れ様は別室にお連れしますね」とその背中に手を触れた。すると、父の表情がさっと変わり、普段は温厚な父が給仕の手をすばやく彼女から払った。すると、給仕は動揺した表情を浮かべて、父をみた。 「その必要はありません。イチノはぼく達の家族です」 給仕は父の顔をしばらく呆然と見つめていたが、気を取り直して「いえ、規則ですので」と言い、頑として譲らなかった。見上げると父の顔は怒りで歪んでいて恐ろしかった。ぼくが怯えている事に気がついた彼女は、ぼくの肩に手を置いて、優しく微笑んだ。その微笑みのなかにはあなたは何も気にしなくていいのですよ、という含みがあったように感じた。 「家族に何か問題がありますか?それに、個室を用意したはずです。よく確かめて」 父の声が大きかったのだろう。テーブルにいた客はみんなぼくたちの方を眺めていた。騒ぎに気がついた年かさの上役が父と給仕の間に入ってきた。上役の機転で結局のところぼくたちは三人とも無事に予約した席に通され、料理を食べることができたのだと思う。その後の記憶は曖昧で、どんな料理を食べたのか、今となっては覚えていない。ただ、ずっと席に通されるまでの記憶だけが残っている。怒りに歪む父と、肩に手を置いて微笑む彼女の記憶だけが。
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