第1章

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社内で重要な役職を持ち、多くの部下を抱えている。毎月のように世界中で会議があり、それに出席するために飛び回っている。妻に報告する出張のうちの何度かは愛人との逢瀬に使われたようだったが、妻はそれに気がついていない。少なくとも浅田は気づかれていないと確信を持っているようだった。 「世間知らずのお嬢様なんだ」とは浅田の言だった。 浅田と彼の愛人の間柄についてはよく知らないが、彼はなるべくダメージの少ない形で妻の優里と別れ、その後然るべき冷却期間を置いてから愛人と再婚することを望んでいる。子供もいるからすんなりと別れることは難しいだろうとは思っていたが、まさか弁護士が必要になるとは思っていなかったらしい。 「母は強しだな」と彼は他人事のように言った。 子供のことは愛していないわけではない。何不自由することのないだけの養育費を支払う準備があるし、考えうる最高の教育を受けさせる。それに、今まで通り家政婦もつける。彼としては最大限の譲歩のつもりだった。 愛人の存在は伏せられている。しかし、強引に別れさせなくてはならない。ぼくたちは優里のあらを探し、そこにつけ込むことにした。家事はやっているか?夫婦生活はどうか?息子に対して愛はあるか? 調べれば調べるほど彼女は穏やかな愛を家族に対して注いでいることがわかった。そして、それがぼくの神経をひどく疲れさせた。 優里と話したあとで、事務所に戻ると、同行していた後輩の佐藤が鞄をデスクに置きながら言った。 「奥さん泣いてましたよ。後味の悪い案件でしたね」 5歳年下の後輩は疲れを隠さなかった。ぼくは彼に肩をすくめて見せた。 「でもうまくいった」とぼくは彼に答えた。「最後には同意してもらえただろう。依頼人のためなら黒いものも白くするのがプロだ」 「それにしたってやりきれないですよ」 ぽつり、と佐藤がつぶやいた。
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