第1章

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「家政婦のメモリはどうだった?」とぼくは聞いた。 愛人の証拠は消さなくてはいけない。メールの送信履歴や電話の通話履歴。会食や宿泊施設の利用履歴。考えうるすべての記録を消さなくては先方がプロを雇ったときに弱みになる。 「これこそ真っ黒ですよ。奥さんに気が付かれてたら言い逃れできませんでした。不倫相手と話してるところが記録に残ってます」 「案外ツメが甘いな」 「だって自分の家ですよ。家に一人きりなのにそこまで気が回ったらそれこそ異常でしょ」 ぼくは棚からカップを取り出すと、コーヒーサーバーから保温してあったコーヒーを注いだ。事務の女の子はとっくに帰っただろうから、何時間前に淹れたものかわかったものじゃない。でもとにかく目を覚ますくらいの効果は期待できるだろう。仕草で佐藤にも勧めたが、彼は席の前で立ったまま手を上げて断った。 「石野さんはよく心が持ちますね、もう俺人間不信になりそうですよ」 「信じるほうが馬鹿なのさ。初めから他人に期待してなきゃ裏切られない」 席についてコーヒーをすすった。苦いだけでとくにうまいとは思わなかったが、少くともあともう少し集中力は上がりそうだった。 「恐ろしい考え方ですね。でもあんな小さい息子さんもいるのに」 「息子はいくつだ?」 「7歳だそうです。養育費と家政婦は今まで通りつけるって言ってましたが、父親のいない家庭なんてかわいそうに」 佐藤はあごに手をあてて気の毒そうに言った。 「きょうび片親なんて珍しくない」とぼくが肩をすくめながら言うと、彼は、はっとして「これは、失礼しました」と謝った。 「別に気を使わなくていい。それより、メモリは?」 「持ってますよ。明日フォーマットしてクライアントに渡します」 明らかに佐藤は時間を気にしている様子だった。デスクに立ったまま腰掛けず、さっきからちらちらと壁掛け時計のほうに視線をやっている。 「まだフォーマットしてないんだな?」 「ああ、今日立て込んでたもんで。これから家に帰ってやりますよ」 ぼくは佐藤に手を差し出した。 「おれがやっといてやるよ。まだ残業してくし、依頼人の家も近い。フォーマットして渡しとく」 言われて佐藤は明らかに安堵したような顔つきになっていた。 「いいんですか?明日からオフなのに」 「いいよ。どうせ実家に帰るだけだ」 「御見舞でしたっけ?お父さんのご加減はどうなんです?」
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