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一人暮らしにしては広い2DK。この部屋は書斎と寝室を兼ねている。以前は二部屋をそれぞれ書斎と寝室に割り当てていたのだが、本を読んだり書き物をしたりしながら寝てしまう日の方が多いと気付いて今のカタチに変更した。もう一部屋は主にただぼうっとするためだけに使っている。  クロのわきを通り過ぎてベッドに直行し、うつぶせに倒れこむと、知らず大きなためいきが漏れた。デスクに戻ったクロが笑う。 「具合でも悪いの?」 「別に平気。久々にお前の顔見たら安心してさ」 「……そう」  気に掛かる声音だった。顔を横に向けて、デスクの方を見る。クロは悠馬のシャツとジーンズを身に着けて、チェアに浅く腰かけ、モニターを見つめていた、 「何してるの?」 「ちょっと気になることがあって。もう終わるよ」 「……ふうん」  言いながら、ごろりと寝返りを打って仰向けになる。カチ、カチ、というマウスの音に、時々軽快なタイピングの音色が混ざった。  ひぐらしの声が聞こえる。いかにも晩夏らしいこんな夕方に、意味もなく切なくなるのはなぜだろう。特別に思い入れのある季節というわけでもないし、ろくな思い出はない。夏を燃やすようにして楽しむ趣味もなかったし、そのために多くの場合必要だとされる、「恋人」という名の他人が隣にいたためしもなかった。とりたてて記憶に残るような事件もなく、ごくごく平坦な道をただ歩んできた。  いや、そうじゃない。悠馬は思い直して、パソコンに向かっているクロの姿を見た。彼と出会った時のことは決して忘れられない。何の思い出もなく淡々と過ごしてきたと思うのは、自分の人生の要所要所に、いつも穏やかな彼の姿があるからだ。艶やかな黒髪、細身の体躯、通った鼻筋、白い肌。唇は薄く、いつもきゅっと引き結ばれている。出会った頃はふんわりと丸みを帯びていた頬から顎のラインはすっと引き締まって男らしくなった。並んで歩くのが気恥ずかしくなるほどの美青年だ、と思う。  だが、彼を見た知人が「人間離れしている」と評した時にはさすがに苦笑した。彼を自分と同じ生き物だと前提しているからこそ出てくる感想だ。彼と出会ってこの方、そんなふうに思ったことなど一度もない。 「……なに?」  モニターを見たままで、クロが笑う。さすがに見つめすぎたようだ。悠馬は「別に」と言いながら伸びをして大きくため息を吐いた。
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