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1.平行世界と〔パラレル〕
「平行世界」とは百年ほど前に確認された別の次元に存在するとされる世界です。そこには地球と同じように多くの生命が存在していますが、それらの生命体は私達の暮らす「現実世界」の人間と一対一で紐付いているとされています。自分と紐付いた平行世界の生き物は「平行世界上の自分」と考えられることから、その生命体のことを自分の〔パラレル〕と呼びます。
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「昔は電柱と塀の間を通るとパラレルワールドに行くなんて都市伝説もあったんだぞ。だけどこの平行世界ってのはそういうものじゃないんだ。それからドッペルゲンガーって知ってるか? それがパラレルワールドの自分ってことなんだが〔パラレル〕はそれとも違うんだって」
世界史担当の教師が雑談のように言っていたが、クラス中がしんと静まっている。誰もそんなことに興味なんかないのだ。周りを見れば教師の目を盗んでケータイをいじっている生徒もちらほらいる。
そんなことより早くプリントを配ってよ、と机に頬杖をつきながら大石芳乃は思った。一回でも多く振り向いて、後ろに座る男子生徒・神崎の顔を一回でも多く見たいのだ。今さら〔パラレル〕のことなんて勉強しなくったっていいじゃない。例えばケータイがどう動くかとか電話の歴史とか知らなくったって、使い方さえわかれば別に勉強する必要なんかない。〔パラレル〕だってそうだ。
目を閉じると、後ろからペン先を紙に叩きつける軽い音が聞こえてくる。「ああ、神崎はちゃんと授業受けてるんだ」と芳乃は思った。神崎は真面目だ、尊敬するね、真似はしないけど……と芳乃は笑みをこぼす。
結局その授業でプリントが配られることはなかった。
しかし芳乃は諦めない。椅子に横座りして体を捩って後ろを向き、背もたれに腕を掛ける
「神崎、神崎の〔パラレル〕ってどんなの? まだ見せてくれないの?」
芳乃は弾んだ声で神崎に尋ねた。その途端、神崎はやや不愉快そうに眉間に皺を寄せた。ちらっと見てくるだけでガン飛ばしてくるような神崎の目つきが、ちょっとワルが好きな芳乃のストライクゾーンど真ん中だった。
──くっ、やっぱり好みだわ
芳乃は自分の胸のときめきを否定しなかった。
神崎は無言で席から立ち上がり、自分のスマホと財布を持って教室から出ていった。
『ふきゅー』
背後から聞こえた生き物の鳴き声に気付き、芳乃は椅子に座り直した。机の上にはさっきまでいなかったイタチがちょこんと座っている。芳乃はそのイタチの頭を指で撫でた。
「あんたはさー、平行世界で神崎の〔パラレル〕に会ったことある?」
『きゅー』
「言ったってわかんないか。あたしもあんたの言ってることわかんないし」
イタチは異常に鋭い爪の生えた手で器用に顔を毛繕いした。これが芳乃の〔パラレル〕の鎌鼬である。ペットのように懐いてきて可愛い。
「何で神崎は自分の〔パラレル〕を出さないんだろ」
芳乃は机に突っ伏した。その脇を鎌鼬がちょろちょろ動いている。
高校に入学してから半年と経っているが、神崎が自分の〔パラレル〕を人前で出したことはない。クラスメートのほとんどの〔パラレル〕は見たし把握もしている。神崎だけが頑なに見せないし教えてもくれない。芳乃は目を閉じて入学直後のことを思い出した。
☆彡☆彡☆彡
入学式が終わりクラス単位で教室に移動した。芳乃は黒板に張り出されている座席表を見て自分の席を確認してその席に向かう。すでに後ろの席には男子生徒が着いていた。
「よろしくー」
芳乃がその男子生徒に声を掛けると、彼は顔を少しだけ上げて芳乃を見た。
──うわ、超好みなんだけど
ものすごいハンサムとかイケメンとかではないけど、そこそこ小綺麗な顔をしていて何より目つきが悪かった。そんな顔立ちのせいか声を掛けられてもにこりと笑ったような感じがしない。ただ一言「うん」と言っただけだった。
軽く自己紹介をしようと担任が言い出した。当たり前のように出席番号一番から順に、ということになる。阿部君が自分の席で立って名前や出身中学、性格などを述べていく。最後「よろしくお願いします」で締めると思ったところだった。
「僕の〔パラレル〕は『ワイバーン』です!」
阿部君の言葉とともに空間に小さな穴が開き、そこから肩乗りサイズの竜が飛び出てきた。教室中から「おおっ!」と歓声が上がり、阿部君は得意げな顔をした。自分の〔パラレル〕が他の人よりも格好いいという自負があるのだろうか。ただ自慢したいがために敢えて紹介したに違いない。
しかしそこからは自己紹介には〔パラレル〕の披露も加わった。次から次へと現れる異形の者達。芳乃も例に漏れず自分の鎌鼬を披露した。
「じゃあ次の人、お願いします」
担任が言うといよいよ神崎が立ち上がった。芳乃は少しでも神崎の情報が欲しくウキウキしながら見ていた。
だが、一番近くで見ていたから気付けたのか、芳乃には神崎の顔が強ばっているように見えた。
神崎は名前と出身中学校、それから「人見知りです。これから一年間よろしくお願いします」とだけ言って椅子に座ってしまった。芳乃は目をぱちくりさせた。
「〔パラレル〕は?」
どこからか声が上がる。
「そうだよ、〔パラレル〕見せてくれよ」
「みんな見せてるんだし」
俄に教室がざわついた。クラス中で神崎の行動を非難するような空気が生まれる。
しかし神崎は無表情のままきっぱり言った。
「見せたくありません」
一瞬の沈黙の後、「えー」の大合唱。それでも神崎はどこ吹く風といった感じで黙り込んだ。
「あっ……神崎君にも事情があってできないんだと思うから、出したくなかったら出さないでもいいんじゃない?」
担任教師がおろおろしながら言った。神崎をフォローしたつもりなのだろうが、「事情があって」なんて余計な詮索を招くだけだった。
結局神崎の後に〔パラレル〕を伏せるクラスメートなどおらず、余計に神崎が浮く事態になった。
***
〔パラレル〕がいないはずはない。平行世界上の自分なのだから、どちらかがいないとなればそのもう一方だって存在できない。この現実世界に自分が存在する以上、平行世界に自分の〔パラレル〕が存在する。どうして神崎は反感を買ってでも隠すのか芳乃にはわからなかった。
──もしかしてめっちゃ弱っちいのとか、くそダッサイ〔パラレル〕とかなのかも
〔パラレル〕の風貌や力の強弱、能力などは別に現実世界の人間と関係はしない。美少女の〔パラレル〕がガチムチのゴーレムだったりすることもあるのだから。
しかしそうは言ってもやっぱり〔パラレル〕の格好良さがそのままその人間の評価に繋がるのも否めない。芳乃だって神崎の〔パラレル〕が毛虫とかだったら嫌だと思う。神崎の〔パラレル〕なんだから格好良いのであって欲しい。
次のコマの開始のチャイムがなった。ほぼ同時に教室の後ろのドアからペットボトルのお茶を持って入ってくる神崎が見えた。
***
放課後、神崎は誰よりも早く教室を出る。部活に向かうのかと思えば正門から出て行く後ろ姿しか見ないので神崎はどうやら部活動はしていないようだった。
芳乃は自分のスマホを取り出してチャットアプリを起動した。相手は神崎。入学後一週間かけてようやくアドレスを聞き出したのだ。
『いつも早いよね? どこ行くの?』
それだけ打ち込んで送信する。すぐには既読にはならない。履歴を見返しても神崎とのチャットルームはほとんど自分からのメッセージで埋まっている。通話も試みたこともあるが、だいたいケータイの電源が入っていないなどと言われその後折り返しの電話が来ることもない。ときどき返信が来るのでガン無視というわけではないのだけど。
他に何らかのSNSをやっていないかと考えつく限りの神崎情報で検索してみたもののそれらしいものはなかった。
早く既読にならないかとスマホの画面をぼんやりと見ている。
「芳乃、あんたよく続くわね」
聡子が話しかけてきた。親友ではないがクラスでは仲が良い方だと思う。
「何が?」
「神崎のこと。あんな根暗キモくない?」
「えー、でもイケメンじゃん」
「マジで? 趣味悪っ!」
お互いに軽口で本音っぽくは言わない。
「それにあいつ放課後遊びにとか、休みの日に他の子の部活の応援とか誘っても全部断るんだって。めっちゃ愛想悪くない?」
「知ってるよー。あいつにチョー断られてるもん」
もはやクラスで神崎に対して声を掛けるのは芳乃だけになっていた。神崎はやらせれば何でもそつなくこなすので邪魔になるようなことはないし、コミュニケーション能力自体に問題があるわけでもない。
いじめられているわけでもないが、他の生徒が〔パラレル〕をけしかけてちょっかいを出しても神崎は決して〔パラレル〕を出して防御することがない。そのせいで出血するような怪我を負ったのが一度や二度くらいあったが、その時の神崎の睨みつける目が正直に言って芳乃ですら怖いと思った。「あいつ怒らせるとヤバそう」という空気が出てきたのだ。
結果として「一緒にいてもつまらない」と思われているせいで神崎は孤立するようになっていた。もっとも楽しいか楽しくないか判断できるほど一緒にいないとわかっているのは芳乃くらいだ。
「今度はちょっと強めにいってみるかな。断れない感じを作ってさ」
芳乃はニヤリと笑った。
***
放課後、教室のドアから今まさに飛び出さん勢いの神崎の背に向けて芳乃は大声で呼びかける。
「神崎! これからみんなでカラオケに行かない?」
芳乃は昼休みに男女併せて十人くらいに声を掛けて、カラオケに行こうと予定を立てていたのだ。もちろん本当に遊びに行くのだが、目的は神崎を無理にでも連れて行くということだった。
神崎は立ち止まり振り返った。無表情のままだ。
「いや、今日は無理」
「それ前も聞いた。今日はじゃなくって今日もでしょう? でも今日くらいいいじゃん?」
「本当に今日は無理。勘弁して」
「いっつも早く帰ってるじゃん。バイト? 手伝い? でも神崎は真面目なんだからきっと今日くらい遊んできたって許してくれるって。トモダチと遊ぶのも大事だって!」
芳乃はスキップするような歩調で神崎に近付き彼の二の腕を掴んで強めに引っ張った。その瞬間、ものすごい力で腕をはねのけられた。
「しつこい!」
怒声が響く。神崎らしからぬ感情のこもった大声に驚き教室中が静まり返る。
「無理っつってんのが聞こえない?」
次の台詞はすっかり落ち着きを取り戻したトーンだった。
しかしそこに静かな怒りが込められている。それは神崎の睨みつける目が物語っていた。芳乃は足がふらつき一歩後退した。
『きゅーっ!』
芳乃の〔パラレル〕が飛び出し、神崎に立ち向かった。
「やめて!」
芳乃が叫ぶと鎌鼬の〔パラレル〕は空中で動きを止めた。振り返り「どうして攻撃しちゃいけないの?」と言いたげな不満顔だ。
「えーっと……ごめん、神崎」
芳乃は顔にかかる髪を掻き上げながら言った。ちゃんと顔を見て謝らなきゃ、と思ったがどんな顔をしたらいいかわからず、目は泳ぐばかりだ。
「……いいよ」
神崎は足早に教室を去っていった。芳乃の鎌鼬は彼女の手に乗り、首を傾げている。
「キューちゃん、別に危ない訳じゃないんだから神崎のことは攻撃しなくってもいいんだよ」
〔パラレル〕は(あくまで彼らの判断で)現実世界の対になる人間に危険が及ぶと感じると呼ばなくてもこのように守りに来る。一説によると対になる人間に不幸があったときに〔パラレル〕にも不都合なことが起きると考えられているので、〔パラレル〕は対になる人間を保護する傾向があるとか。
だから誰もが違和感を感じたのだ。
「神崎の〔パラレル〕、出なかったな」
「あいつ〔パラレル〕にも愛想尽かされてるんじゃね?」
「あり得る!」
「てゆーかめっちゃキレるし」
ぞわっと悪意が湧き上がる。クラスメートの曖昧だった神崎へのネガティブな感情・評価がはっきりとした輪郭を持つような空気。あ、まずい──芳乃は直感した。自分の取った行動が神崎への反感を煽ってしまった。
「あー、全然あたし気にしてないし。何かマジ鬱だから吹っ飛ばそーぜ!」
芳乃は彼らの気を紛らわせようと、努めて明るく声を上げ話題を移した。それから教室から出て、町へ繰り出した。
***
『薫、あの態度は良くないと思うよ?』
***
それでも翌日神崎は学校に来た。いつも通りの仏頂面をして席に着く。
「神崎……おはよ」
いつもみたいに脳天気に声を掛けるなんてできなかった。神崎もまたいつもみたく「うん」という短い返事すらせず無言のままだ。芳乃もそれ以上言うのは止めた。
いたたまれなくなって芳乃は席を立ち、聡子達が集まる一角に向かった。
「おう、芳乃。昨日は楽しかったね!」
「うん。渡辺があんなに歌ウマとは思わなかった!」
「でもトーチンめっちゃ音痴だった」
「放っておけや」
さすがに誰も昨日の神崎について触れようとはしなかった。彼はクラス内でもうすっかりアンタッチャブルな存在になってしまったのだろうか。
芳乃は横目で神崎を見た。自分の席に座ってどこを見ているのかわからないようなぼーっとした表情を浮かべていた。
***
放課後は相変わらず神崎が一番に教室を出る。芳乃も自分の鞄を掴んですぐに席を立ち上がった。
「芳乃ー。おやつ食べてけ!」
「ごめん聡子。ちょっと用があるから帰るわ」
階段を駆け下り下駄箱を目指すと、昇降口で鎌鼬がきゅうきゅう鳴いている。
「キューちゃん、神崎がどっち行ったか見てた?」
芳乃がローファーに履き替えている間に、鎌鼬は昇降口を飛び出して正門の右側に寄った。あっちに向かったのか、と思い芳乃も正門を出る。かなり先にポケットに手を突っ込んで歩く神崎の後ろ姿が見えた。
──ホントいっつもどこに行くんだよ
芳乃は神崎があそこまで執着する『何か』を知りたくなった。自分の立場を悪くしてまで早く帰る理由は何だろうと。それは神崎の〔パラレル〕に関係しているのだろうか。
神崎の足は駅の方に向かっている。「神崎は電車通学か」と芳乃は自分の頭の中の神崎データベースにその情報を落とし込む。
しかし神崎は途中で駅前通りにある雑貨屋に入っていった。どちらかと言えば女の子向けの店であり、男子高校生が入るのはかなり違和感だ。
ここで偶然を装って入って声を掛けようか……と思ったが、今日一日神崎はずっと不機嫌そうで近寄り難かった。さすがにその原因であろう自分が声を掛けるのは腰が引けた。それに彼は入り口入ってすぐのコーナーを見ている。店に入ったらすぐにはち合わせそうで入れない。
「キューちゃん、あいつ何見てるか見てきてくれる?」
『きゅー』
鎌鼬は芳乃に言われた通り店に向かい、神崎の死角に入った。もちろん神崎は気付くはずもなく商品を選んでいるようだ。
やがて神崎は店の奥に行ったが、まもなく出てきて鞄をごそごそ漁りながら歩いている。そしてそのまま駅に向かった。どっち方面の電車に乗るのか気になるが、それ以上に彼の買い物が気になった。こんな店に入ってまで買いたかったものは何だろうと、今日はそっちの方を解決したかった。乗る電車は明日確認しよう、そう思った。
「キューちゃん。神崎は何を買ったの?」
『きゅー』
鎌鼬は入り口近くの棚に並べてある手のひらサイズのポーチを示した。値段にして二千円に届く。ふわふわの手触りが可愛いから欲しくはなるけど、自分で買うにはちょっと躊躇う。
「……こんなの神崎が買ったの? 何で?」
まさか彼女? と思った。今からでも追っかけて聞こうかと思ったが、もう姿が見えなくなっていた。
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