第1章

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 机上には、参考にして卒論を書いていた九冊の繰り返し何度も何度も読んで、ボロボロになった本が開かれている。彼は、多量の雨で多くの河川から流入し満杯になったダムが決壊し、まるで洪水のように襲って来た悪夢に溺れていたのだ。  今回の悪夢は、これまで経験した事がない程の熾烈≪しれつ≫極まる恐怖を伴っていた。下着を絞ると、グッショリと氷のように冷たくなった汗が落ちた。バスタオルで、全身をていねいに拭き、風邪をひかないよう慌てて下着まで変えた。  花が咲き乱れる初夏にはまだまだ遠く、今はやっと冬を脱した三月初旬だ。三寒四温の季節だから、寒い日もあれば暖かい日もあるのは、当然だろう。  昨夜か今朝かは定かでないが、勉がタップリと味わった悪夢は……。    勉は、二階の六畳間で寝ていた。  ガラス窓の方に、顔を向けていたのだろう。  窓外に、くすんだ着物姿をした若くて髪の長い半透明の女性が、彼に背を向けて浮かんでいて、まるで蚊が鳴いているような消え入りそうな声を、直接、彼の脳に入れてきたのだ。 「寒いから中に入れて下さいませ! 後生ですから、お願い致します! どうか……私を温かそうな貴方様のお部屋に……」  艶っぽさがあるのに、何となく虫唾≪むしず≫が走る、おぞましい嫌悪感を抱かせる、くぐもった低い声で、繰り返し訴えてくる。まるで喉を抑えつけられているような、何ともイヤーナ声だ。胃が跳ね上ったような不快感を、勉は覚えたばかりでなく、彼女の声を聞いた刹那、意識が凍りついてしまった。  しばらくして正常な意識を取り戻すと、彼はあれこれと考えた。 (夢は殆んど毎日見るが、今回は今まで見た事がない程の不快な夢だ。  夢では、視覚だけではなく、聴覚、嗅覚等が、何らかの刺激を感じるらしい。  リアル過ぎるが、正真正銘の夢には違いないだろう。彼女は外にいるから寒いのだ。訴えが現実だとすると、外は相当に寒いようだ。  やや、突然、冷たい空気が喉に流れ込んできたぞ。おかしい! 室内にいる俺の全身を、真冬のような冷気が覆うなんて……。まして、ここは二階だから、どんな方法で彼女は、窓の外に浮かんでいられるのだろうか? ハシゴかキャタツでも使わない限り、人間では窓外に留まっていられない。霊なら、そんなものは不要だが!)  そんな疑問の解答を模索している、まさにその時だ。
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