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主任教諭は、橘を真っ当な道に戻すまたとないチャンスだ、と衛にやたら生徒指導をけしかけてきた。
しかし彼は、この自由気ままな美しい猫を、狭い規律や成績の檻に閉じ込める気にはなれなかった。
好きにすればいい。そして、自分の教えている生物学……特に植物に面白さを感じてくれたのなら、それでいい。
「マモル。このアルピニアなら、こっちのアロカシアとは別に植えた方がいい」
「なぜだ。どちらも低温には弱い。採光の強いここに両方植えた方が、手入れもやりやすいだろう」
「うん。でも、このふたつが一緒だと華やか過ぎるよ。離して植えて、全体のアクセントにした方が僕は好きだな」
「解かった。じゃあアルピニアは、低温に強い品種を探すか」
単なる知識だけでなく、その感性でもって温室をコーディネイトするセンスも抜群だ。衛は、陽の内に秘めた才能を見出した。そして、伸ばした。植物に水を与え、肥料を施し、日光を注ぐように、このちょっぴり世の中を疎んでいる猫に努力を、工夫を、そして達成感を味わわせ続けた。
「マモル、お腹がすいた。晩ごはん、奢って」
「おやつから食事に格上げか。よく動いて、腹が減ったか」
「マモルは安月給だから、ファーストフードでいいよ」
「いらん気遣いを」
出会った大人に、やたら豪勢なディナーをご馳走された事など何度でもある陽だったが、衛の奢ってくれるハンバーガーは、どんなフルコースより美味しかった。
この後は、おやすみなさいと別れてしまうと解かっていても、いや、解かっているからこそ、共に食事をする時間をいっそう大切に感じた。
必ず、自宅のマンションまで送ってくれる衛。だけど決して、その敷居を跨いではくれないのだ。
「じゃね、マモル」
「早く寝ろよ」
学校へ行くことが、こんなにも楽しみになるなんて。
衛の背中が角を曲がってしまうまで、陽はいつも見送っていた。
そして3年生となった陽は、衛の勧めで花や緑を相手にする専門学校へ進路を定めた。花木の手入れやアレンジメントだけでなく、造園や経営の基礎まで教えてくれるし資格も取れる、しっかりした学校だ。
彼の紹介なら、と陽もその気になった。勉強し、受験し、見事合格した時には、我が事のように喜んでくれた衛。
よかった、と思った。僕でも、衛を喜ばせてあげる事はできるんだ、と嬉しく思った。
だが、それから気づいた。
気づくのが、遅かった。
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