8人が本棚に入れています
本棚に追加
*
春子は出会った頃から、もともと笑顔の可愛らしい娘だった。
しかし今ほど笑顔を絶やさないようになったのはーーー
「あのね、武雄さん。今日お寺に参った時に、とてもありがたいお話を聞いたの!」
あれはまだ息子が中学より前の頃だっただろうか。
出かけ先から帰ってくるなり嬉しそうに春子は私の横に駆け寄ってきた。
「話は聞くから、先に手洗いうがい。で、買ってきた物は冷蔵庫なりに納めなさい」
私が軽く窘めると、「あっ」と手を口の前に当て、失敗失敗と恥ずかしがりながらそそくさと立ち上がった。
少しして、よっぽど聞いて欲しいのだろうと思ったので、こちらから
「で、どんな話を聞いてきたんだ?」
と話を振り返すと、途端、春子の目が輝いた。
「あのね! 『ありがとう』って、漢字で書くと、有ることが難しいって書いて『有難う』なんですって。生きていること、笑えること、話せること、泣けること、日々起こる瞬間瞬間が、有り難い、奇跡の連続なんですって。意味を知って、私、感動しちゃった!」
片付けが終わったらしい春子は再び私の横に駆け寄ってきて座った。
「私、もっとこのありがとうという言葉や気持ちをたくさんの人に伝えたいわ。もちろん、武雄さんにも。武雄さんがここに居てくれる、それだけで本当に私は幸せです。武雄さん、ありがとう」
ーーーそうだ。あの頃から春子は一瞬一時に喜びを感じるようになり、常日頃から感謝を忘れず口に出し、大輪の花のような笑顔を皆に与え続けるような女性になった。
「まったく……。影響されやすい奴だ」
単純だがそこが可愛らしく思え、つい笑みが溢れる。
春子が亡くなった際に「弱音を吐いてくれてもよかったのに」「頼ってくれたらよかったのに」など口にする者も居たが、あいつは弱音を吐けなかったわけでも頼れなかったわけでもなく、むしろありのままを自分を受け止め、日々、瞬間ごとに命があることを感謝していた。
最期の瞬間までありがとうを伝えようとしていたのだ……。
最初のコメントを投稿しよう!