謎の男

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「ホットアメリカンです」  毎度だけど、緊張して『可憐な人』の前に珈琲を置く。  『可憐な人』は無言で頷く……いつも通りだ。しかしこの時、椅子にかかった『可憐な人』の上着が落ちた。あたしはそれを拾い上げた時に気付いてしまった。 (あれ、この匂い……)  昨夜の不思議な出来事が脳裏に蘇る。あの時に私を運んだ誰かは、とてもいい匂いだった。  (どこかで嗅いだ記憶があると思ったけど……………………この人だ!?)  私は上着を持ったまま、驚いて佇み『可憐な人』を見た。『可憐な人』は私を正面から見つめニコッと笑った。私は火がついたように顔が熱くなり、慌てて『可憐な人』に上着を渡して一礼してから、回れ右でスタッフルームに駆け込んだ。  私はスタッフルームの洗面所に行き、鏡で自分の顔を見ると真っ赤だった。 (恥ずかしい!! こんなになってたんだ!? うわあ……)  顔に手でパタパタと風を送り、ソワソワしていると………… 「ちょっとぉ!! 吉乃!? 何やってんのよーふざけんじゃないわよ、オーダー糞詰まりになってるわよ!! あらやだ…あたし、糞なんて……ご免なさい…ちょっと吉乃ぉ!!」  マスターがスタッフルームの扉をノックしながら叫んでいる。 「わかってる!! 今行くからー」  私は観念してスタッフルームから出て行った。  それからは嵐のように忙しくなりオーダーと洗い物に追われ、考える間もなく午後八時の閉店まで残業した。  『可憐な人』は午後七時半頃に帰った。  後片付けが終わりスタッフルームで帰り支度をしようと思ったら、マスターが「飲んでおいき」 と私を引き留める。見ると、カウンターの上にホットアメリカンとショコラケーキを用意してくれていた。 「わ、嬉しい!! 有り難うマスター」   私はお礼を言ってカウンター席に腰かけた。 「んは! このケーキ美味しいっ」  濃厚で、しかも甘過ぎずほろ苦い味がして口の中でとろけるケーキに感動して自然に顔がほころぶ。 「あんた……それ女の食べ方? シマウマ食ってるライオンみたいに口の周り、ほれ、なってるわよ」  マスターが私を見て呆れたような顔で笑っている。
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