姥捨街のプリンセス

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「プリンセス、お懐かしゅうございます」  騎士は剣を鞘に収めると片膝ついてモルの手に口づけた。  伝説の英雄たる騎士オーデン卿が目の前にいるではないか。  モルの唇がわなないた。 「そなた……生きておられたのですね」  モルが生涯独身を貫き帰還を待ちつづけた騎士は、広がった額にも目尻にも深く皺が刻まれて、後ろに撫でつけた髪も蓄えた口髭も真っ白だった。愛しいプリンセスを見上げる瞳には数十年前と変わらぬ情熱の炎が燃えている、といいたいところだが、眼疾のせいか白濁して、モルの顔を捉えているのか心許なかった。  それでもモルの目に涙が溢れ出た。皺の寄った指が微かに震えながら騎士の頬に触れた。 「わたしは貴方のお帰りをずっと……なぜ宮殿においでにならなかったのですか」 「苦難の旅路は長く、襲い来る試練は果てしなかったのです。ようやく帰国した途端に、年老いた放浪者と断じられ、ここに押し込められました」 「ああ何ということでしょう。オーデン卿ほどの人物を」  曇天を見上げて嘆くと、ネヨッタとオキヨッタが嫌味な調子で口を挟んだ。 「国法じゃでな」 「我が手で愛しい殿御まで排除なさったわい」  オーデン卿は立ち上がり、モルの手を握った。 「だが神のお慈悲か、命尽くる前にこうしてふたたびお逢いできました。しばしの間ではござろうが、プリンセスをお守りいたします。このような場所でも住めば都。さあ、街をご案内いたしましょう」  手を曳いて街路を歩きだした。  両側にひしめくのは古い汚れた家ばかり。  饐えた臭いが鼻につくのは、死臭がこの街に染みついているからだろうか。  オーデン卿と手に手を取り合っていても、モルの気持ちは軒下の蜘蛛の巣に絡め取られるように暗く沈んでいくのであった。  飢え凍えて死ぬなど堪えられない、こんなところで。  門を破って宮殿へ帰るのだ。  帰らねば。  モルは憤然と決意した。
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