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例えば歌詞のいついつの部分のい。
古来にはゐと言う発音があり現代とは明確に
発音が違っていた。
ゐは、いで習う古語だが、厳密には(い)ではない。
ゐ=うぃである。
同じように(ゆぇ)と言う発音などがあるが、
現代化と共にこうした統一された言葉は多い。
社は元々は、うぃやしろであり、屋代とは明確に発音が違う。
こうした言語の統一は、それまで別の発音だった
言葉の多くを混合させ、日常会話を混乱させる要因になった。
例えばかんしょうと言う言葉を例にあげると。
感傷、干渉、鑑賞、観賞、完勝、環礁、感賞などがある。
まだあるがそういった同じ発音も昔は別々の発音で話されていた。
そういった意味でこのかごめ唄を聞くとき、
その意味の幅は広がる。
いついつでやぁうは、うぃつ、うぃつでやぁうかも知れない。
もしこう歌っていたとしても現代の子供は、
いついつに置き換えるだろう。
なぜならウィと言う発音を習ってないからだ。
仮に手主と言う言葉があるとして、
それを聞いたとしてもティッシュと混合する事は
無いだろう。
だがある日、日本政府がティをてに統一すると決めたとする。
途端にティッシュはテッシュになり、
手主と言う言葉と区別出来なくなる。
現に古来日本では、てぃと言う発音もあったような痕跡があるが現代の日本語からは削除されている。
そう言った事を考慮すれば、いついつであうは、何時かも知れないし、うぃつかも知れない。
そう言った意味でこのかごめ唄を考える時、
何か歌詞に秘められたメッセージのようなものを
感じる。
例えばかごめのかごだけでも、いくつかの意味が
考えられる。
籠?
加護?
過後?
加護女?
籠女?
籠目(★六つ目編み)?
六芒星?
そんな事を考えながら歩いていると前方から再び
かごめ唄が聴こえてきた。
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