序章

6/6
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/183ページ
濃霧(のうむ)が耳鳴りする様な静けさで(おお)っていた。 その時、呆然(ぼうぜん)とする僕のシャツが、 くぃくぃと引かれた。 視線を下げると、小さな瞳が僕を見上げたまま服の(すそ)(つか)んで(たたず)んでいた。 6才前後の小さな女童(めわらべ)だった。 (わらべ)は僕を指差し告げる。 「御前様(ごぜんさま)」 そして自分を指差し(ささ)やいた。 「姫御前(ひめごぜん)」 彼女は無邪気(むじゃき)微笑(ほほえ)み、僕の周りを駆け出した。 「子捕(こと)ろ、子捕(こと)ろ。 ちょっとみりゃあの子 さぁ捕まって み~しゃいな」 さんざめく(ざわざわと音をたてる)残響(ざんきょう)雑木林(ぞうきばやし)に反射して、僕を取り囲んでいた。 少女は笑いながら駆け出した。 「みーしゅいな みーしゃいな」 遠ざかる笑い声。 僕は呆然(ぼうぜん)とそれを(なが)め見送った後ふと我にかえり、急いで遠ざかる少女の足音を追いかけた。 夢中(むちゅう)で追いかける内にいつの間にか、 神社の裏手門の鳥居(とりい)まで来ていた。 夕霧(ゆうぎり)(かす)鈍色(にびいろ)色相(しきそう)が、幻想的な夢の中で、 鳥居の赤を(いろど)っていた。 初音(はつね)の空は深く闇に閉ざされ、その異様(いよう)(ほこ)っていた。 (わらべ)は鳥居の前に(たたず)み一瞬振り返ると、 (いざな)うように鳥居の外に駆け出ていった。 (ただよ)濃霧(のうむ)が日食のように辺りを暗くし、 鳥居の外がまるで異次元の入口のように、 すぐに彼女の姿をかき消していた。 まるで(ぜんぱく)(肉体の魂)が溶けて無くなる様に。 (とき)しも(ちょうどその時)に(かす)むその陰影(いんえい)(なが)めながら、僕は唐突(とうとつ)()かれたような消失感(しょうしつかん)に囚われ、夢中で彼女の後を追い始めた。 僕は彼女の残した陰影(いんえい)に誘われるようにして、 神社の鳥居をくぐっていた。 同時に意識が遥か遠くに飛ばされるような脱力感(だつりょくかん)(おお)われ、眠る様に意識が薄れるのを感じた。 (ゆが)む世界の(はし)思考(しこう)じたいが世界に溶けて行く様な夢から()める瞬間の様な、奇妙な浮遊感に包まれていた。 次に意識が浮上した時、そこは見慣れた自分の部屋だった。
/183ページ

最初のコメントを投稿しよう!