【1】迫子貴光の妄執

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 毎年恒例のロードレース大会が開かれた。学校裏の山裾を三キロほど走る、授業の一環として執り行われた大会とも言えぬ小さなものだ。学年ごとに、数十分間隔で怠惰に飛び出す学生たちの誰もがいやいやという体を隠さずにいた。貴光も例に違わず、なんとかして棄権できないかと無い頭を絞りって画策はしていたが、案を出せぬ上に、それを口にする度胸もないためにずるずると今日のこの時間を迎えた。隣で立ち尽くす友人と地獄の連帯感を共有する。しかし、断頭台にでも登るような気持ちで共に「ロードレースなんて嫌だな」なんてコソコソ隠れていたはずの親友――、星野智冬が、嫌がる素振りとは裏腹に飛びぬけて一番にゴールをしたのは予想外だった。汗まみれで、集団よりずっと後ろを這うようにして走る貴光なんて気にも留めず、中学生にしてはすらっと高い、すぐにでも成熟してしまいそうな体から眩い汗の粒を散らして初秋の野を流星のように駆けて行った。  鮮烈に疾走する光はあまりに眩しく、あまりに遠すぎる。智冬のボロボロに履き潰した安い運動靴とは違い、貴光は両親にねだって買ってもらった三万円近くするアディダスのエヌエムディーを履いていた。その高価なシューズがより一層、栄誉のゴールを遂げた英雄とも称えるべき智冬の前に出て行き辛くした要因の一つかもしれないと今更ながら思う。結局、クラスメイト達の称賛に眉一つ動かさず、凍らせたスポーツドリンクを突き出した舌の上にしとしとと垂らす姿を貴光は遠巻きに眺めることしかできなかった。  もしかしたら智冬はその時のことを今では忘れ去っているかもしれない。額の汗をひんやりと冷やした秋風も、歩道を走るたびに泥の撥ねた運動靴が枯れ葉をくしゃくしゃに押し潰し、小枝を蹴り上げて疾走したことも。――――貴光を、最後尾に置き去りにしたことも、覚えていないのかもしれない。それでも確かに、“差異の始まり”はいつだったかと問われれば、貴光は自信をもってロードレースでの一件を答えるはずだ。     
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