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しばらくすると、また義母の声が聞こえてきた。前と同じような、とりとめのない話題だった。早苗はホッと安堵したが、相槌を打つような気分には戻れず、黙々とセーターをほどき続けた。
再びドキリとしたのは、最後に残った右袖があと少しでほどき終わるという頃だった。また娘の名前が出てきた。
「このセーターは愛華ちゃんへのクリスマスプレゼントよ。喜んでくれるかしら」
ひとりきりの部屋なのに、義母の視線を感じる気がして、早苗は急に居心地が悪くなった。いるはずのない義母から目をそらしたくて、ほどきかけの毛糸から顔を上げ、部屋の隅のカーテンの端をぼーっと見つめる。
「あのカーテンの所だったな」
このセーターが届いた日のやりとりがよみがえる。
(まーた、おばあちゃんからセーターが届いたよ)
(えー、またぁ? 愛華、もっとカワイイのがいい)
(とりあえず1回着て。写真とって、おばあちゃんに送るから)
ふくれっ面の愛華に、このセーターを着せて、壁際の、あのカーテンの端のあたりに立たせた。ガラケーで1枚だけ写真を撮り、メールに添付して義母に送った。
「お義母さんに酷いことしちゃった」
思わず、つぶやいていた。義母の優しさ、孫への想い、そういったものを自分はグチャグチャに踏みにじってしまった。あの日、義母のガラケーに届いたはずの、小さな画面に粗い画像で映し出されたであろう愛華の姿は、喜んでいるように見えただろうか。
がらんとした深夜の部屋に、義母の声が楽しげに響く。
「愛華ちゃんはこのセーターを着て、お友達とのクリスマスパーティーに行くかもしれないわね。『これ、おばあちゃんが編んでくれたの』なんて、自慢しちゃったりして」
ウキウキした義母の口調とは反対に、早苗の胸はキリキリときしんだ。義母の期待は叶わなかった。このセーターを愛華が着たのは、結局、写真をとった1回きりだった。あのとき数分間だけ袖を通し、今、こうしてほどいている。あと1cmくらいしか残っていない。いまさら元に戻そうとしたって、早苗の腕では不可能だ。いや、そもそも義母以外のだれかが編みなおしたら、義母のセーターではなくなってしまう。どうしたって、もう、とりかえしはつかないのだ。
早苗は覚悟を決め、えいっと最後まで糸を引っ張った。
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