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「そんな落ちこんだ顔しないの」
「落ちこんでないです」
「うそつかない」
「ついてないです」
足を早めようとしたとき、僕の傘を持つ手を、突然つぐみさんが両手で温かく包みこんだ。
誰かがはかったかのように、僕らの眼がぴたりと合う。
「ちょっと仕返ししただけ」
仕返しの意味は分からなかったが、わざわざ手ぶくろをはずしたつぐみさんの温もりが、雪よりも甘く、なめらかに伝わってきて、僕の血液の中に入りこんできた。
止まった足が、なさけなくふるえる。
「雪の日くらい、手ぶくろしなきゃ」
つぐみさんはそう言って僕の右手から傘を取り上げると、代わりに温かいカイロを握らせた。
「わたしが左側にいるんだから、左手で傘を持つの」
今度は傘を左手にもたせ、ついでにマフラーにも手直しを加える。
「こうすればふたりとも濡れないし、腕が組みやすいでしょ」
僕は言われるがままに、つぐみさんに左腕を差し出し、今までにないくらい密着して、コート越しのじんわりとした体温を感じながらゆっくりと歩き出した。
つぐみさんが転ばないように左手を空けておいたのだという言い訳は頭から飛んで、ただ寄りそっているだけの心地よさが全身に満ちてきた。
「そこ、右に曲がって」
「どこ行くんですか」
「次の角も、また右」
「来た方向に戻っちゃいますよ」
「ひばりくんのせいで、通り過ぎちゃったの」
「やっぱり行きたいお店、あったんじゃないですか」
「ひばりくんだって欲しいもの、あったんじゃない」
つっけんどんに言い返され、僕はとまどってしまった。
ひょっとしたらという考えが、頭の中で火花のように散った。
「どうせ明日、休み取ったんでしょう。雪道を三十分も歩いて駅まで行くのは億劫だからって。作業着で膨らんだカバン見れば分かるんだからね」
すべてを見透かしたように、つぐみさんは僕の眼をのぞきこんだ。
こくんと返事をしながら、つぐみさんの瞳の色を探る。
威張った言葉とは裏腹に、入学式前の少女のような、期待と緊張が混ざり合った眼をしていた。
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