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「わたしも明日は有休取りました。彼氏さんとご一緒なんですかって、後輩にぶつくさ言われましたけど」
眼をそらして、ぶっきらぼうに言う。
「長居できて、のびのびできて、お酒が飲めるところに行きたいんでしょ」
「それって」
「いいから歩く」
「あの、今日はなんというか、用意がなくて」
「そういうのは、お姉さんに任せときなさい」
「でも、お腹もすきましたし」
「すぐそこにコンビニあるから」
「さっきは気づけなくて、すいません」
「そういうこと蒸し返さない」
「そうですけど、来週のことで頭がいっぱいで」
「カレンダーよりも、女の子の都合を考えなきゃ」
「言葉もないです」
「岡山出張の話、うそだから」
「うそって」
「今度はあなたがエスコートしなさいよね」
ぷいっとそっぽを向いたかわいいお姉さんを、僕は非常な熱を持って見守り、承知しましたと言うことしかできなかった。
四つ上の強がりのお姉さんは、ひょっとすると見た目よりもずっと幼くて純真なのかもしれない。
年下で経験が浅いというのが僕の引け目だったのだが、彼女の手のひらで転がされているようで、実は転がさせるというのも、悪くない付き合い方だなと思った。
雪を踏みしめていく靴音の中、ポケットの右手でカイロを握りながら、いつか読んだことのある『手袋を買いに』という童話を思い出した。
僕が恋人から初めてもらうバレンタインのプレゼントは、手ぶくろで決まりだ。
しだいに雪に埋もれていく景色が、手ぶくろをくださいと右手を差し出す彼女の姿を想起させ、僕をほほえましい童話の世界へといざなった。
それはあるいは、初めてのことに踏みこむ寸前の感傷なのかもしれない。
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