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ミルクは少なめ、口に運ぶ温度を何度も試す。
修業時代から使っているスケッチブックと鉛筆で、叩きつけるようにレシピを描く。
途中から、生クリームも試し、後味が心地よくなる割合を探った。
オレンジピールは別添えにして、立ち上る湯気はキスのあとの吐息のように、ひたすら甘くしようか。
一連の作業を繰り返す中で、私は、澤田を先に帰した理由に、少しずつ気づき始めていた。
恥ずかしかったのだ。
興奮する姿を見られたくなかった。
私にだって、官能の瞬間はある。
心臓が高鳴り、瞳が潤むことがある。
でも、誰かに晒す勇気はないのだ。
できあがったショコラ・ショオを、茶こしで濾して、ティーカップに移す。ハートにくり抜いたオレンジピールを添える。
チョコの香りを嗅ぎ過ぎて、鼻は狂っている。
舌も。
けれど、空腹が私を誘う。
ちゅっ、と音を立ててすする。
思いを遂げたクーベルチュールの悦楽の味は。
「甘っ」
ホワイトチョコの存在が、本来ならもう少しさらっとするはずの液体を、脳天を突くような甘さに仕上げている。
「すまん」
謝りながら、キャトルエピスを振り入れる。スパイシーさが加わって、
「差し詰め、ソフトSMプレイかな」
信頼関係あってこその、嗜虐。
「はあっ、こっちのほうがイケるわ」
ティーカップをそっとソーサーに戻し、オレンジピールを口に含んだ。ひとりで頑張る女性に飲んでほしいな。アツアツの恋人にも。
バレンタインにチョコレートを贈るのは、製菓業界の戦略だ、という人もいる。
でも、違う。
南国の光を浴びた特別な素材、凝縮された栄養価、そして何より、口の中で溶けるカカオバターの特性。
チョコレートは、感覚の食べ物だ。
溶けゆく時を感じることで、恋を経験できる。
「君たちは、先に溶けちゃったけどね」
カップの底に話しかけ、私も澤田に似てきたと苦笑する。
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