桃色の空気

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 付箋を貼った個所について一通り話した後、彼女はまだ何か言いたそうだったが、そうかもね、と適当な相槌をうちながら、僕は原稿用紙と筆記用具、電子辞書を机の上に広げた。それを見た彼女は急に静かになり、小説の世界に戻っていく。そう、部室の中は瞬く間に、紙をめくる音とペンを走らせる音だけになった―― 「何の小説書いてるの!?」 「うわぁっ!」 ――はずだった。  振り返ってみると、彼女が両手を僕の肩に置き、書きかけの原稿を覗き込んでいる。 「いきなり何だよ!」 「いいじゃない、バレンタインデーなんだし」 「理由になってないし」 「どんな話を書いているの?」  肩にかかる重みが強くなる。彼女はもっと乗り出して、きちんと文章を読もうとしていた。    読まれるのは構わない。ただ、その……顔が近い。シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。  僕は彼女をぐいっと押し、所定の位置に戻させた。 「バレンタインデーの話。今度の部誌は二月二〇日発行だろ」  本当はもっと早く発行させたかったんだけど、僕が中々完成しないから締め切りを延ばしてもらったんだ。バレンタインデーは過ぎてるが、六日ぐらい誤差の範囲だろう。  彼女は目をぱちくりさせた。長いまつげが上下に揺れる。 「ふーん。あなたに恋愛なんて書けるのかしら」 「それは……」 「どうせ恋愛経験もないんでしょう。経験したことがない気持ちを書くのは難しいわよ。多くの人が知っている気持ちならなおさら」 「そうだけどさ……」      
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